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2021/2/26 7:36

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音楽理論的に正しくないコード進行ってのは、具体的にどんなものなのでしょうか?

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進行、それだけ? でも、調性的な暗示を有する進行だよね。 理論は和音由来かもしれんが、そもそも 和音の流れは、理論由来じゃないからね。

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「理論的に(正しい)」ってのは、言い換えれば「意味がある」というか、もっといえば「目的に適う手段である」とかいうことなんですよ。 理に合う、合理的である、とも言えるでしょうか。 理ってのは原因と結果、あるいは目的と手段のことです。それを論じたのが理論。 そしてコードってのはあくまで楽曲というものを作り出す手段です。手段として用いられるものなんですよね。 質問者さんは、コードは楽曲そのものではない、って感覚は分かりますか? 楽曲というものを想起する(思い浮かべる)とき、コードというものが先に思い浮かぶことって今までに一度でもありましたか? 一度か二度あったとしても、その他のほとんどの場合、楽曲の想起はメロディが先にくるものだと思うんですよ。 楽曲の評価あるいは価値は「想起する強さ(残る印象の強さ)」にあり、なおかつ、ハーモニーあるいはコードと比べれば、メロディの方が格段に楽曲を作る上での「理」の根源に近いことがわかります。 (もっと近いのはリズムですが。) メロディがない状態、コード進行を単体で聞いたの印象というのも、結局、「単音の流れ」の印象に支配されてるわけです。より専門的な言い方をすれば、「進行元ハーモニーと進行先ハーモニーの構成音同士の連結のされ方」ですね。 以上のことから、印象のない音の流れ(無意味な音の流れ)になるコード進行だとか、楽曲においてより重要なメロディの印象を邪魔する音の流れになるコード進行は、コードを手段として用いる目的に適わない、すなわち「音楽理論的に正しくない」と言えるわけです。 質問者さんが上げた例でも、たとえば G | E | D | F に eeeedddd | dddcbbbb | eeeedddd | cccdeeee | (1文字=8分音符の長さ) こんな感じに分かりやすい音の流れを前面に出せば、たとえ特定のダイアトニックスケールを想定してハーモニーを組み立てずとも、破綻したコード進行には聴こえないわけです。 今言った「前面に出す」ってのが重要なとこで、楽曲の印象ってのはつまるところメロディラインのような、「前面に出る何か」、言い換えれば「主役になるもの」によって作られるものなわけです。 どうしようもない現実的な問題として、音の流れやメロディを無視してコード進行だけを考えても無意味ってことくらいは質問者さん自身で確かめられることでしょう。 ちなみにですが、私は上に挙げた例について、確信をもって「メロディとコードになんら破綻した部分はない」と説明することができます。 それは「このコード進行にはまともな印象を与えられるようなメロディをつけることができた」という結果論があってこそのことです。 その反面、「まともな印象を与えられるようなメロディをつけられないコード進行」というものもあります。 しかし両者にははっきりとした境界はありません。「どの程度まともな印象を与えられるようなメロディをつけられるか」という「程度問題」があるわけですが、もちろんその説明もできます。 しかし残念ながら、どんなに懇切丁寧に説明したとしても、今の質問者さんがそれを理解するのは難しいと思ってます。 悪い言い方になってしまうのを承知で言いますが、それを理解するまでの然るべき段階に至ってないからこういう質問になるのだと思いますし…。 なんらリターンのない赤の他人、まして匿名質問者さんに対しては、然るべき段階を全てクリアさせるほどのモチベーションが沸かないってのが私個人としての正直な感想です。

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そもそも、正義とは、特定の価値観を前提に判断されるものです。 だから、音楽理論も、その前提となる価値観が必要なのです。 音楽理論の場合は、、ようするに気持ちがよいと思う人が多いかどうかという多数決です。 料理と一緒です。最後の最後は、美味いと思う人が多いかどうかという多数決です。 で、その集大成が、ダイアトニックスケールとダイアトニックコードなのです。 だから、そこを基準にして、さまざまな理論が屋上屋を架す様に構築されました。 お示しのコードは、ダイアトニックコードで統一されてません。 ただ、理論で説明は出来ます。 転調の連続とか、借用和音とか、いくらでも説明はできます。 GBD→G#BE→ADF#→ACF にすれば、流れも出来ます。 一曲の中で、アクセントとしてこれを使用することは、十分出来ます。 気持ちよくなるためには、メロディアスであることも重要なのです。 だから、処理次第では、気持ちよくなりますし、上のような工夫をせずあえてギクシャクさせてもアクセントになります。 つまり、ダイアトニックスケールとコードだけってのは、白米だけの食事みたいなもので、そのうちふりかけが欲しくなるということです。 で、かけ過ぎれば不味いわけです。 どこまでがよいのかは、かける人の勝手なのです。 頭がおかしいのではないかと思えるくらいに唐辛子や辛みを効かせる料理は世界中にあります。 音楽理論というものは、どんな理論も破ればかならずなんちゃらかんちゃらの理論がついてくるものなのです。売れるか売れないかの差が出るだけです。一番大事なのは、自分が食っておいしいかどうかです。

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音楽理論というのは成立しちゃってる音楽作品の理由付けのロジックで、自然科学の法則ではありません。 適当に作ったものでも「快」と感じるなら、その「快」の理由がなんだろうと考えるところで音楽理論が出てきます。 「理論的に正しい/正しくない」ではなくて「音楽としてこれはアリか/なしか」でとらえたほうがいいと思います。

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