カナダは、最初、フランス領でしたが、ニューフランス会社を通じたネイティブアメリカンとの毛皮交易を目指しましたが、植民地統治は上手く行かず、イギリスとの戦争などもあって交易も頓挫して、多くの入植者を増やすこともできませんでした。厳しい気候条件のもとで農業植民地が上手くいかなかったことが原因で、このため奴隷制農場たるプランテーションも広がらず、黒人奴隷の大きな需要もありませんでした。フランスは1685年の黒人法によって黒人奴隷の自由を大幅に制限して、厳しく管理させますが、フランスの黒人奴隷はサンドマングなどカリブ海の島々が中心でした。
1763年のパリ条約でフランスはニューフランスをイギリスに譲り、カナダはイギリス領となります。イギリスは1786年までにアフリカから新大陸への黒人奴隷貿易を禁止してしまい、1807年に本国とアフリカ・西インド諸島間で行われていたすべての奴隷貿易が禁止されます。よってカナダにも新たな流入はとまります。
1830年代になると奴隷制度そのもが大英帝国全体で禁止される流れになり、カナダにおいても黒人奴隷は全くいなくなります。その代わり、アメリカ合衆国から脱走した黒人奴隷の亡命が始まります。
禁止される1834年にカナダには約4,200人の奴隷が存在したことがわかっています。これらの約3分の2はネイティブアメリカンの奴隷で、3分の1は黒人でしたから、黒人奴隷は1400人ほどだったことになります。のべでは数千程度の黒人奴隷が輸入されています。
あと、黒人は北に住むのに適さないとかバカなことを言うひとがいますが、全くのデタラメです。エセ科学ではなく、実際の医学的事実では、白人より黒人だけでなく黄色人種も、日光暴露にかかわらず、ビタミンD血中濃度は低いことがわかってきています。 しかしビタミンD欠乏症によって、がんリスクや骨粗鬆症などになる可能性はあってもすぐに亡くなったり、すぐに生活に支障がでることはないです。