善悪はないのではないか? 簡単な自己紹介は書いてあるので見て下さい。
善悪はないのではないか? 簡単な自己紹介は書いてあるので見て下さい。 今日、朝散歩をしていた時、人間には本質的には善悪というものはないのではと思いました。即興で心に浮かんだため書き留めるまでです。 朝日が差し込んでいますが、自然に生きるのがいいのではないかと思ったのです。 ルソーや老子的な考えかもしれません。 善悪はないと言っても勿論、殺人や戦争などはいけないと考えています。 今日は天気が良く、青空が澄み切っています。 人間は生老病死、病を得て、もしくは不慮の事故、老衰などで死んでいきます。 これは仕方のない事です。一方で若夫婦が新しい子供を作ります。 そうやって連綿と歴史が作られたのではないでしょうか? これは「自然なこと」だと思うのです。 鳥とか犬猫なんかも自然に生きており、明文法はありません。 法律なんてものは人間社会の秩序を維持していくために「人為的」に作られたものだと考えます。 まだ書きたいことはありますが、長くなるためここまでにしておきます。 要は道徳・哲学、宗教などに縛られず自然の赴くままに生きるのがよいのではないかという思想です。 これについてあなたの意見や感想を真面目に書いて下さい。宜しくお願いします。
「明文法」ではなく「成文法」かもしれません。 訂正しておきます。
ベストアンサー
例えば、動物には、闘争本能があります。。。 なので、人間も動物であり、自然に生きていれば、闘争も無くならないでしょう。 それで、相手を怪我させたりすれば、それは悪い行為になる訳でしょう (法律などが無かったとしても)。 ということで、自然のままに生きれば、全てハッピーではないと思います (人間が、犬猫のような動物なら、それで善いでしょうけれど)。 また、快楽主義者は、快楽と苦痛に敏感であり、 そのため、善悪を無視しがちです。 あなたの発想は、快楽主義から出ているとも言えると思われます。 もちろん、快楽主義を貫けば、善だけでなく、悪も沢山生まれてしまうことでしょう。 善悪を無視して、快楽優先にすれば、そうなるのは当然です。 快楽主義には、注意が必要だと思います。
確かにそうですね。 感心し、また反省しました。 人間には負の感情があるのを忘れていました。 無法地帯になってしまいますね。 大昔の春秋戦国時代の荀子なんかは「性悪説」を信じて、法律で人間を取り締まるべきだと主張しましたっけね。 僕は基本、一人でいることが多く、治安も空気もいいところにいるので、そういう発想は生まれませんでした。 反省しています。 確かに、人間切羽詰まれば、闘争本能を起こしてしまいますね。 反省しました。
質問者からのお礼コメント
どうもありがとうございます
お礼日時:2/28 15:50