善悪はないのではないか? 簡単な自己紹介は書いてあるので見て下さい。

補足

「明文法」ではなく「成文法」かもしれません。 訂正しておきます。

ベストアンサー

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確かにそうですね。 感心し、また反省しました。 人間には負の感情があるのを忘れていました。 無法地帯になってしまいますね。 大昔の春秋戦国時代の荀子なんかは「性悪説」を信じて、法律で人間を取り締まるべきだと主張しましたっけね。 僕は基本、一人でいることが多く、治安も空気もいいところにいるので、そういう発想は生まれませんでした。 反省しています。 確かに、人間切羽詰まれば、闘争本能を起こしてしまいますね。 反省しました。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

どうもありがとうございます

お礼日時:2/28 15:50

その他の回答(4件)

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どの生物も種ごとに生存戦略があり、 それに従って生きることは自然なことだと思います。 つまりは種ごとに「自然な形」があると言う事ですね。 人間にとっては、道徳や法律などを用いて 社会を構築・維持していくことこそが 自然なことだと思っています。 なので、人間にとっての「自然の赴くまま」と言うのは 社会の中で生きていくことと変わりません。 他の種の生き方を模倣することは 極めて不自然な事だと思います。 と言うか、人間は単体だと弱すぎるので、 社会を作ることでしか生きられないでしょうね。 そしてその社会の基盤となるものは 法律や道徳や宗教だと思います。

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何かを決めるという事はそれなりに意味のある事なのです。 例えば目の前に一本の棒を置いてみて両端のどちらかを「右」と決めます。 するとその棒の反対側の端は左になります。 「右」を決めただけなのに「左」も出来てしまうのですね。 これと同様にあなたが何かを「善」と決めると、それと同時にその性質と反対のものが「悪」になります。 あなたが「善」を作れば同時に「悪」も作るという事です。 このような関係を相対的な関係と言いますが、現代の人類にはほとんど全くと言っていいほど理解されていません。 何かを決めるたびにそれと反対の性質が生じるだけではありません。 更に重要なことに何かを決めるたびにその関係によって自分もそれによって制限されるという事です。 上にあげた例で行くと、「右」と決めればその棒に対しての自分の位置関係も決まります。 何かを「善」と決めればその出来事との関係で自分のスタンスが決まります。 このように何かを決めるだけでなく自分というものがその関係において「何者なのか?」という事が決まるのです。 つまり何かを決めれば決めるほど自分というものが限定され個性化がされてきたのです。 その結果が今の「あなた」という存在です。 今、物事は「決まっている」と信じている人が多いのですが、そのほとんどは「決めている」のです。 それによって宇宙での自分の位置を決めているのです。

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たしかに、人間が憎しみで殺す事を悪だといわれるが、動物の場合はならない気がする。 それは、動物の行動が自然に近いと見られているかもしれない。 だが、憎しみではなく、好奇心や自己満足のための殺害は悪といえるのかもしれない。 なぜなら、自然的ではないと考えられるからである。 やはり、人間と動物を比べると発見がありますね。

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まぁ、人それぞれですね。 例えば宗教に帰依することが自然の摂理だという人もいるでしょうし >要は道徳・哲学、宗教などに縛られず ↑かくいうこの質問内容だって、縛られるべきじゃないと言われる 哲学のど真ん中の思想ですな