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2021/2/28 18:19

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仏教における「煩悩」についてご教示ください ズバリ伺いますが、「煩悩」とは人にあってはならないものでしょうか?

哲学、倫理 | 宗教167閲覧

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その他の回答(16件)

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ホントは煩悩があるとしんどいから、ない方が楽なんだけどね。 でもなかなかそううまくいかないのが人間。 燃え盛る煩悩に身を焼かれてはじめて真実を求める気持ちも起こるので、焼かれてみるのもアリですかね

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煩悩に流されて、煩悩に支配されて生きるのが凡夫です。 煩悩(流れに喩えられます)に逆らう(コントロールする)のが聖者への道です。ブッダの教えは「流れに逆らう教え」と言われます。煩悩に流されずに生きるということです。

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煩悩があるからこそ、人として生まれて来た側面はあるでしょう。 以下六道輪廻における煩悩の特徴 天界 喜び 修羅界 正義 理屈 人間界 愛情(情愛) 動物界 性欲 無知 餓鬼界 貪り 妬み 地獄界 憎しみ 殺生

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欲望ですよね。 捨てることにより苦しまなくて済む。 自分も金の欲はありますが、それ以外は出来るだけ捨てて、幸福も目指しています。

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「煩悩」は、人が無くさなければならないものです。 仏教で問題とされるのは、煩悩のもとになる”欲”や”執着”につい てです。ただし、仏教はこれらを否定してはいません。 例えば、お釈迦様は、すべての人を救うという”大欲”を持っておら れ、生涯、大変な努力をされてインド中を布教伝道されました。 この大欲を「誓願」といい、努力(執着)を「精進」と言います。 つまり、欲や執着を、良き目標のために使っておられるわけです。 欲や執着は、上記のように「誓願」「努力」というプラスの側面と、 「我欲」「我執」という「煩悩」のもとになるマイナスの側面があり ます。それは、世のため人のためにと考えるか、自分のことしか考え ないかの違いです。 なお、”世のため人のために”ということが、結局は、自分をも救う ことになることを、「情けは人のためならず」という諺(ことわざ) が教えているわけです。 ところで、「誓願」「努力」と「我欲」「我執」は、それを生み出す 元の力は同じもので、方向が違うだけです。 それに気づいて、目標や方向を変えれば、煩悩が菩提心( 煩悩を断ち 切って悟りの境地を目指す心)に変えられます。 これが、”煩悩即菩提”ということです。 ただ理屈はその通りですが、実際は、”わかっちゃいるけど・・”と いうのが凡夫です。理屈を知って、実際にそれを実現しようとするの が、仏教の修行・訓練というものでしょう。

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