この話の意味を教えてください!
この話の意味を教えてください! 「佐分さんは感心なことには池には鯉がゐませんといはれたが、深みのあるために浮く粗朶の間に一杯の鯉が見え隱れしてゐた。これくらゐの水の豐富さがあるのだから鯉を放さずにゐられませんね、鯉がゐない池があつたら敬禮しますと私はいつたが、佐分さんは自分で見せて案内する庭を却々ひいきにしてゐるし、愛してもゐる、これが本統だらうと思うた。かへりに留守番の女の人が京の人らしく、愛想よく、お掃除が行きとゞきませんと、云つてくれた。」の一文では 「佐分さん」が池に鯉がいないことに感心したらしく然し実は池に鯉はいたと作者さんが言ったんですが そのあとに出てくる「佐分さんは自分で見せて案内する庭を却々ひいきにしてゐるし、愛してもゐる、これが本統だらうと思うた」という話の主旨がよくわからないんですが・・・これはどういう意味で言ってるのでしょうか それと文中に出てくる「粗朶」というのは池にたまたま落ちた枯れ枝のことでしょうか あとに「お掃除が行き届いてません」とあるので・・・
文学、古典・9閲覧
ベストアンサー
>佐分さんは感心なことには池には鯉がゐませんといはれた 佐分さんがそう言ったのは、本来の無隣庵には鯉がいなかったので、そこを「感心なこと」と褒めているのです。 この庭を作った小川治兵衛の曽孫が以下のように書いています。 「庭の池に鯉を飼うことを好まなかった山縣有朋公は、代わりに鮎などの小魚を放し、浅瀬で魚たちがぴちぴち飛び跳ねる様を楽しんだという。この池が深さ2~3cmと非常に浅く作られているのは、水は浅いほど広く感じられることから、庭に広がりを持たせるための視覚効果を狙ったもの。その水面に空が映り込むことで、庭は無限の広がりを見せる。」 https://ueji.jp/pages/0604kyotocitygraph.htm つまり、当初のこの池には鯉もおらず、また鯉が泳げるほどの深さもなかったということです。佐分さんはそのことを念頭に置いているのでしょう。 >深みのあるために浮く粗朶の間に一杯の鯉が見え隱れしてゐた 犀星たちが訪問したころには池は深く掘り下げられ、さらに「ため(溜め)」(他の部分より一段と深い部分)には冬眠中の鯉がたまっていました。山形が愛した池とはずいぶん違ったものになってしまっています。 粗朶は人為的に切りそろえた木の小枝の類をいいますが、それは保温のために水面を覆っているのです。冬眠中の鯉はほとんど動かず餌も少量しか食べないので、水温が低すぎると体力が落ちるといいます。以下のブログの「冬」の項を参照してください。 http://www.nishikigoi.co.jp/seasons.html 佐分さんが愛し誇りに思っていた池とは様変わりしてしまったけれど、彼は今もこの池を愛しひいきにしている、その心情はほんとうのものだと犀星は感じたのでしょう。 >京の人らしく、愛想よく、お掃除が行きとゞきませんと、云つてくれた。 もはや都市伝説ともなっていますが、京都人のお愛想を真にうけてはいけません。だから犀星も「京の人らしく、愛想よく」と言っています。
質問者からのお礼コメント
そういう使い方もあるんですね!大変勉強になりました! ご回答ありがとうございます。
お礼日時:3/4 19:47