O1b2は海人族の一派だと思いますが、ツングース系や濊族や貊族などと混血した形質が朝鮮半島に残り、縄文人と混血した形質が日本列島に残ったんではないでしょうか。
倭語は縄文語と混じって日本語になったと考えられますが、倭語が朝鮮語(新羅語)や満州語に分岐したとういう想定は難しいかもと思います。
ここまでが回答。ここからは蛇足。
◎縄文時代
縄文時代に森林で縄文人(ミトコンドリアN9bやM7a、Y染色体D1b)が縄文文化を営んでいました。長江下流から西日本にかけて照葉樹林が茂り、照葉樹林文化が栄え、いも栽培や焼畑や納豆や餅や絹や漆や歌垣やハイヌエレ神話などを営みました。長江下流では倭族主流(Y染色体O2)の下戸遺伝子が増え、長江文明が栄え、温帯ジャポニカ米の水田稲作や鵜飼や貫頭衣や高床住居や鳥居や蛇神信仰やしめ縄や天岩戸神話やヤマタノオロチ神話や海幸山幸神話などを営みました。東シナ海沿岸では倭族の海人(あま)族(Y染色体O1b)が雑穀栽培を営み、入墨をして漁労も営み、国生み神話を伝え、黄海沿岸に広がって、朝鮮半島との間で雑穀栽培や漁労や交易や海賊を営み、遼東半島で華北人やツングース人(ミトコンドリアD4、Y染色体C2)と混血して、遼寧青銅器文化やアルタイ系建国神話やタカミムスビ信仰や黄泉国神話を学び、朝鮮半島西南部で支石墓を営みました。
◎弥生時代
海人族は朝鮮半島から更に済州島や対馬に渡来して、ミトコンドリアD4やY染色体C2やY染色体O1bや入墨や刻目突帯文土器や無紋土器や遼寧系細型銅剣や支石墓や太占や馬鈴をもたらましたが、馬は持ち込めませんでしたので、馬鈴は祭器の銅鐸になり、国生み神話やアルタイ系建国神話やタカミムスビ信仰や黄泉国神話ももたらしました。
倭族主流は黄河中流の漢民族の諸国に攻められて四散し、山岳地帯の少数民族やインドのタミル人や東南アジアのモン族やタイ族になり、済州島や対馬にも渡来して、倭人=渡来系弥生人になり、Y染色体O2や下戸遺伝子や温帯ジャポニカ米の水田稲作や鵜飼や鉄器や貫頭衣や高床住居や鳥居や蛇神信仰やしめ縄や天岩戸神話やヤマタノオロチ神話や海幸山幸神話などをもたらし、朝鮮半島南部に水田稲作を伝えて、オクキョン遺跡になり、北九州の縄文ムラにも水田稲作を伝えて、菜畑遺跡になりました。
これらの渡来系弥生人は九州や本州や四国に弥生文化を広げました。中でも海人族は北九州や山陰や北陸や近畿に銅鐸を広げましたが、そこには縄文系遺伝子も多く残りました。又倭人は北九州や瀬戸内に銅剣や銅矛を広げました。渡来系弥生人は人口が縄文人より増加し、縄文人と混血して日本人=大和民族になりました。