紫電改と疾風ってどちらが優秀な戦闘機でしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

多くの方からいただいた回答をまとめると、 防御力に関しては同等、されど運用上防弾版の重視で疾風がやや上 旋回性能は紫電改がやや上スピードは疾風がやや上 三四三空の集中運用で活用した紫電改と広く普及を目指した疾風 優劣は何を重視するかで変わるというところでしょうか? 皆様から貴重なご意見をいただき感謝いたしますが、双方の立場からの見解をいただいた本コメントをベストアンサーとさせていただきます。

お礼日時:4/12 20:33

その他の回答(8件)

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戦力として貢献が大きいのは疾風 一機だけの性能比較だと、疾風は紫電改より運動性能で劣っていたかもしれませんが、疾風は生産工数の簡略化にも相当考慮されている設計であるのに対して、紫電改は生産に非常に手間がかかる機体だったようです。 紫電改の生産数では戦力になっているとは言えません。 「戦争は数だよ兄貴」 紫電改を集中運用した第三四三海軍航空隊が伝説になっていますが、 あれは源田実のコネで優秀なパイロット&整備士を集めた部隊が局地的に一花咲かせたというだけ。(源田の横暴で優秀な人材を引き抜かれた他の部隊からは不平が噴出していたらしい) 疾風のように外地にも進出していれば、紫電改もボロが出たと思われます。

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まあ四式戦・疾風はいろいろ欠陥、欠点が言われていて、それはその通りであり、疾風はまだ熟成不足の未完の戦闘機であったと言えるでしょう。 紫電改にしても、強風や紫電の失敗の反省やフィードバックがあって、紫電改に至るのです。 紫電改は、紫電の大改良型であり、その点では疾風より進んでいたとも言えます。 一方、疾風の方も武装を20mm機関砲4門にした型もあり、そうなると武装は紫電改と同じです。 疾風は紫電改より重く、スピードは出るが旋回性能や上昇力が劣ると言われますが、そこはまだ改善の余地があり、すでに改良型の計画があったのです。それが金星エンジン装備の疾風である 「キ116」 です。 キ116は満州飛行機での転換生産型。発動機を信頼性の高い三菱ハ112-II(公称1,500馬力)に換装し、プロペラも3翅となっている。また重心調整のため、全長が20 cm長くなっている。翼面荷重が制式機より25 kg程度減少したこともあり、速度がやや低下した反面、飛行特性は向上したといわれる。かつ、エンジン他で重量が500 kg程度減少しており、これは換装による減少したエンジン出力約300 hp分を十分補って余りあるものとなった。特に翼面荷重はキ84の185 kg/m2に対して160 kg/m2になったため、旋回性能や離着陸性能は、むしろ向上したものと容易に推定することが出来る。試験飛行の結果は良好であったが、各種飛行特性や厳密な性能測定の直前、1945年8月9日ソ連侵攻に遭遇し、関係者の手により機体・設計図とも自らの手で処分された。 疾風も金星エンジンに換装すると翼面荷1平方メートル当たり25㎏軽くなり、全体の重量も500kg軽くなるということは、旋回性能や上昇力も大幅に向上したでしょう。 逆にいえば、これが計画されるということは、疾風は重くて、翼面荷重も高く旋回性能も低く、誉エンジンは信頼性が低かったということです。 大戦末期に実戦配備された五式戦闘機が好評であったのも、やはりそういうことだと思います。 逆にいえば金星疾風は、エンジンの信頼性では紫電改より上になるかもしれません。 あるいは紫電改も、本当は金星エンジンを搭載した方がさらに軽量化して、旋回性能や、上昇力も上がるかもしれないのです。 米軍のF6Fも、完成形ではなく、次のF8Fでは小型化、軽量化しています。P-51HもP-51Dより軽量化しており、P-51Dでもまだまだ重すぎたのです。 まあ紫電と疾風を比べれば、疾風の方が確実に優秀です。早めに大量生産に成功したという点では疾風の方が紫電改よりも優秀だったと言えます。 しかし熟成度という面では紫電改の方が疾風より進んでいたと言えるでしょう。疾風はまだ完成形ではなく、改良中であったのです。 キ116が計画通りの性能であれば、紫電改より優秀かもしれません。

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四式戦は失敗作でした。 コンセプトが破綻していた機体です。 F4UやP51だと700km/hという速度に達します。 四式戦だと国内燃料では640km/h程度だったことでしょう。 戦後になって米国の燃料と電装系に変えても、やはりF4UやP51には及ばない速度しか発揮していません。 日本国内最速戦闘機は、しかし、米国製戦闘機に比べると低速機でしかなかったのです。 こうなると四式戦のコンセプトである筈の一式離脱戦法、速度を活かして敵機を撃破するという戦法が不可能なのです。 50km以上低速の四式戦ではF4UやP51相手に、一撃離脱戦法などありえない。なにしろ四式戦では敵機に追いつけないのですから。 時代は旋回性能重視の格闘戦戦闘機ではなく、速度重視の一撃離脱用戦闘機なのだと狙い定めて四式戦を作ろうとした。 その思想は間違いではなかったのかもしれない。 しかし、日本軍が想定していた速度は米国機に比べて低過ぎた。 だから、米国機に追いつけない一撃離脱戦法用戦闘機が出来上がってしまった。 発動機の調子が良かろうが、不調だったにしても、それとは無関係に四式戦では米国機に追いつけない。これを客観的に失敗作であると言うのです。 小型で高出力の誉エンジンが出来た。これなら抵抗が少なくて高速の戦闘機が出来る筈だ。 でも、誉の1,800馬力どころか2,000馬力越えの空冷エンジンを敵は作っていた。最高の空力設計を行えた水冷エンジン機を作り上げて来た。 結局、誉エンジンに拘って高速機として専用設計したことが四式戦の致命傷でもあったのです。火星エンジンの18気筒版である2,400馬力仕様のハ42でも四式戦に使っていれば、F4Uに対抗出来たのかもしれない。 さて、紫電改です。 紫電改だと四式戦から10~15km/hほど低速だった。 これは四式戦に比べて紫電改の主翼が大きく、速度で劣るものの旋回性能では優位になる設定がなされた為です。 なにしろ零戦に慣れていた海軍パイロットには旋回性能に優れた機体でもないと受け入れられない。 そして、F6Fの最高速は610km/hほどで、紫電改よりも低速。 ただし、一見鈍重に思えるF6FはWikiによれば“F6Fは大柄・大重量ながら2,000馬力級のエンジンを搭載していたため、軽量ゆえに海面上昇率に優れる零戦と比較しても、ほぼ同じ海面上昇率であった。また、ズーム上昇は強固な機体構造ゆえに急降下で速度を稼げるF6Fの方が零戦よりも優れていた。さらに、急降下性能、武装、防弾性能、横転性能、旋回性能も、時速400km以下の速度域以外では零戦より優れていた。” F6Fは格闘戦に向いていたのです。 馬力に劣る零戦が苦戦するような時代に、高出力で旋回性能に優れる紫電改は最適な戦闘機であったのです。 四式電では敵高速機に追いつけない、しかも、F6F相手に格闘戦やるのには向かない。 その点、大型主翼で旋回性能重視の紫電改なら積極的に格闘戦を挑んでも大丈夫だった。 Wikiの紫電改によると、“川西航空機設計課長だった菊原静男によれば、1951年(昭和26年)に来日した米空軍将校団の中にアメリカで紫電改をテストした中佐がおり「ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦演習をやってみた。どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった。ともかくこの飛行機は、戦場ではうるさい存在であった」と評したという[77]。” 大型の主翼にして格闘戦重視にしておいた紫電改は、米軍がテストしても十分な空戦能力を持てたのです。 トップスピードを10km/hほど妥協して、大型の主翼に空戦フラップを装備して戦闘力を確保する。 コンセプト的に最初から敵の出力に劣る発動機なのだから、速度を捨てて機動性で勝負する。これは結果的に正解だったのです。

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四式戦が1,000機作られたから優秀なのだという意見がある。 しかし、四式戦が国内燃料で敵機と対抗できる700Km/hを達成できなければ、本来の一撃離脱というコンセプトが成立しない。 だから四式戦は失敗作だと言えるのだ。 実戦では敵機に対抗出来ない機体を生産し続けてしまった。 それは失敗に失敗を重ねただけのことだろう。 むしろ一旦生産を停止して、火星や金星にでも置き換えるくらいの処置をすべきだった。 誉のまま1,000機も作ったのはむしろ大失敗なのだ。

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四式戦「疾風」は、なぜ航空機の殿堂【スミソニアン】に無いのか ? これが答え。 米軍は戦後、他の日本戦闘機と同様に、同じ条件で「疾風」の詳細な性能テストと空戦演習を1946年4月2日~5月10日にかけて1ヶ月以上米国本土で実施したが、 米航空博物館は、「国立・私設」共に、四式戦「疾風」を1機も保存しなかった。 航空史に特筆すべき機体なら、「零戦や紫電改」の様に保存・展示したはず。 急旋回に耐える機体強度を下げ、一撃離脱に特化した【疾風】。やるか、やられるかの命のやり取りをするのは搭乗員で、追尾され振り切る格闘性能が無ければ米戦闘機には勝てない。二式戦「鍾馗」も同じ。 四式戦【” 疾風 ”】中島飛行機。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F ※ 3.500機生産されたが、稼働率が低く、同じエンジンで生産機数が僅か400機の【紫電改】に比べて目立った戦果がなく、影が薄い。近藤芳夫(疾風開発者)は、「疾風は一撃離脱のキ44(鐘馗)が原点。紫電改は空中格闘戦に拘っていた」と述べている。 疾風は、性能テスト後に米国立航空博物館の保存リストに残れず、 四式戦【”疾風”】は↓民間へ払い下げられ(売れたのは1機で残りは廃棄処分)。 現存する疾風(知覧特攻平和会館で展示)は1機のみで、その唯一の「疾風」は、アメリカ本土で性能テストされた後、戦後アメリカの私設航空博物館(プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館)に払下げられた機体。その後、栃木県宇都宮市の日本人実業家(元海軍下士官で戦闘機操縦員)に買い取られ、1973年(昭和48年)に日本へ移送され、現在に至る。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F#%E7%8F%BE%E5%AD%98%E3%81%99%E3%82%8B%E6%A9%9F%E4%BD%93 ※ 払い下げでも、現存機が1機、残っているだけまだまし。 二式戦「鍾馗」に至っては、全て廃棄され、現存機など影も形も無い。 【” 紫電改 ”】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E9%9B%BB%E6%94%B9 ※ 戦後、米空軍の試験で、紫電改に100オクタン燃料を使って飛行した結果、速力はどの米戦闘機にも劣らず、機銃威力は一番強いと紹介された。 昭和26年に来日した米空軍将校団の中にアメリカで紫電改をテストした中佐がおり「ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦演習をやってみた。どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった」と評した。 自動空戦フラップで、格闘戦も、一撃離脱も「甲乙戦」ともに戦えた【紫電改】。 米国立航空博物館も、米私設航空博物館も四式戦【”疾風”】を、 1機も保存していないが、川西の【”紫電改”】は、 3ヶ所の米国立航空博物館で↓3機も保存展示されている。

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【”343空”】紫電改は、約10対1の圧倒的な物量差でも優勢だった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%9B%9B%E4%B8%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A ※ 紫電改の343空は、この奮闘により御嘉賞を賜わっている。 CG動画↓343空【”紫電改"】 最後の闘い! ❶ http://www.youtube.com/watch?v=UrN9ECPJ6Gchttp://www.youtube.com/watch?v=FJMLVM4LcEs

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