第二次世界大戦時の日本の戦車は弱かったという事がよく聞かれますが、実情はどうだったのでしょうか。

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歩兵支援の面…か。 なんて本だったか忘れてしまったが、 機械を上司的な方々が嫌ったという冗談のような話があったな。 パワハラ的なものでもるが、 例えば激重な装備して、急斜面を登れ!と下級兵士へ命令すりゃ 無茶だろうが何だろうがヤラねばならん。 だが、機械は仕様(スペック)以上には出来んもんは出来ん。 そこには【精神論】なんてものは通じない。 だから嫌ったΣ(◉□◉;)ってな感じだ。 もっとも、戦争突入前なら…どういうワケか数は気にしてたらしい。 戦ってないから実力は不明なれど、数は十分脅威を与えられる …から?であったろうか。 ま、戦争突入しだしたら生産が戦闘機だのに重点置かれ (つか、それでも対地戦闘機は少ないというのはどういう事であろう) 減らされていったというのもある。 机上スペック重視だったというネタもある。 戦車砲は、対外への対抗意識なのか?初速を重視したともいう (破壊、貫通力…ではない。あくまで速度だけだ)。 で、技術的に満たせないと技術人をタコ殴りモード? で、技術人もそれでは堪らんという感じで… 貫通力下げて(弾自体軽くし?)初速だけは要望通りにした。 が、そこで貫通力がダメと言えばいいのだろうが 何故か満足しちまったと(実用性と別世界)そんな感じの 話は…なんて本に載ってたんだっけなぁ~? ちなみに、別件として確か【仮想(バーチャル)兵器読本】の シリーズだったと記憶するが、 日本軍の中で最強戦車は、陸軍から貰った旧式戦車に 海軍が大砲載せ替えて造ったものだとかそんなネタも あった気もする┐(´д`)┌。 足回りや装甲問題(ドイツでは装甲を意味する言葉を 充ててたともいうから、同盟したんだから同様に「戦車」では 無く「装甲車」としたらどうだったんだろ。 ま、装甲車だと別モンに充てられてるけど)多々、 技術的に無理ならまだ諦め?も付くが(付くなよΣ(゜o゜;)) でも、中国戦線は別として…島伝いでの戦車運用なんて 難しいとも言えそう。 だから、運送力面も含めてこれは考えないと出来まい (海軍嫌いでありゃ、頼み込んで大型輸送船借りるなんて プライドが許さない?)。 しょっぽクン

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月刊グランドパワー1995年7月号「太平洋戦争の機甲部隊(2)」という本が具体的で良いと思います。この本には1943年5月以降の太平洋戦域での日米各種戦車の投入合計概数が推定でそれぞれ462両(日本)、2030両(アメリカ)と書かれておりまして、日本全損に対して、アメリカ軍は約37%の736両が損耗したと書かれております。しかしアメリカ軍の736両という数字は「日本軍の戦車または対戦車火器の射撃によって」とありますので、地雷や事故など他の要因による損耗は含まれていないようです。 イメージや印象だけで語られがちで、てっきり日本側の損害がアメリカ側より多いと考えられがちな中、日本側不利な1943年5月以降だけで、戦車に関する限りはアメリカ側の方がずっと損耗数が多かったというのが具体的に数字で明記されているという点で大きな意味のある本だと思います。 あとは、M4戦車の車体前面に直径約40ミリぐらいの貫通孔が、斜め前からという不利な条件にも関わらず開けられてしまっていたり、砲塔に7.7ミリ級の機銃弾が20発ぐらいブスブス深くめり込んでいる残骸の写真が、日本の武器とM4前面貫徹痕という本にあったりします。この残骸は太平洋戦跡紀行という本やネット上の画像やyoutube動画(STAFF FILM REPORTという50年以上前のアメリカ軍公式フィルムも含めて)にもあったりしますが、上記しました車体前面の貫通孔や砲塔のブスブス深くめり込んだ機銃弾の被弾孔の様子は、「日本の武器と~」という本以外では確認しずらいようです。 長文失礼しました。

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中国戦線でも、少なくとも国民党軍は日独伊三国同盟以前に輸入したⅠ号戦車を使っていました。 また、ノモンハン事件より前から次期(九七式中戦車の後継となる)中戦車は対戦車戦闘能力をつとめて向上させるとの研究結果が報告されています。四式中戦車(Ⅰ)の57mm砲はまさにこの研究結果にもとづくものでしたが、これは開発中に陳腐化が判明し75mm砲を新しく開発、さらにこれすら間に合わないのではないかという懸念から105mm砲もほぼ同時に開発されていました。 まあ結局どちらも量産される前に敗戦し、結果的に旧式化しつつある戦車で戦わざるを得なかったわけですが。

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確かに太平洋で米軍のM4と比べると見劣りするのは事実です。 しかし日本も戦車開発には積極的で八九式戦車を皮切りに九五式軽戦車、九八式中戦車と順調に開発を進めて世界標準的なレベルでした。 よく勘違いされるのはノモンハン事件で戦車戦でボロ負けとなっていますが実は違います。 まず、日本の主力であった九五式戦車の三十七粍砲や九四式三十七粍砲はソ連のBT戦車を貫通できます。 そして意外かもしれませんが日本、ソ連両軍とも戦車よりも対戦車砲に多くの戦車が撃破されております。 ですから対戦車戦では日本軍は決して手足が出なかったわけでなくむしろ互角以上の戦いをしておりました。 ですから大問題になったのは戦車でなく砲兵戦でボロ負けした重砲でした。 その後、ノモンハン事件の検討をした結果、戦車に関しては九七式中戦車が既に対戦車戦を意識した四十七粍砲以上の砲の搭載を進めていたことで対戦車能力は解決するとなっていました。 (しかし1939年から始まった第二次世界大戦で欧州では急速に戦車の開発が進ことになり日本の戦車開発は置いていかれることになります。) そして太平洋戦争が始まると緒戦は米軍や英軍もほとんど戦車戦力はなく問題はありませんでしたが、戦争が進むにつれ陸軍は航空機に資源や資金を集中して注ぎ込み戦車開発は止まってします。 そして米軍の反撃が始まるりM4戦車が投入する頃には日本の九五式軽戦車や九七式中戦車(四十七粍砲装備含む)は旧式化してしまいました。それでも硫黄島や沖縄などでは四十七粍速射砲や九〇式機動野砲などで戦車等を地形を利用して撃破しています。 戦争末期に海軍が軍艦の建造を諦めると陸軍に資源が回って、ようやく戦車開発が進み一式戦車や三式戦車が本土決戦の為に量産をされましたが少数にとどまりました。

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「日本の戦車は弱かった」のでは無く「新型の実装が間に合わず、仕方無く旧式の戦車で戦っていた」と言うのが正規です。 元々帝国陸軍の指針では主敵は中華軍であり、その中華軍の持つ武器は殆どが歩兵が持つ小銃と機関銃、序に迫撃砲や野砲と言った程度で戦車所か装甲車の類すら非保有です。 ぶっちゃけチハと言う機甲戦力とトラック及び自転車と言う歩兵の輸送手段があるだけで無茶苦茶オーバーパワーな状況でした(因みに、チハが登場した時点では十分チハは世界基準に達していた) しかし戦争が進むにつれて帝国陸軍の敵が米や露にシフトした為、対戦車戦闘を前提にしなければならなくなり、その米露も独の戦車に対抗する為に急速に進化していたので旧式の車両では全くと言って良い程対抗出来ない状況になった訳です。 更に言えば日本は海洋国家の海軍国であり、限られた少ないリソースは航空機と船舶に注がれていたので当然新型戦車の開発にまでは手が回らず、研究はしていたけど量産の目途も立たないので実際戦地で稼働していたのは対中華を主眼とした対人仕様の戦車だったのです。 元々対戦車戦闘を想定していない車両で対戦車戦闘したらそりゃボロボロになるのも当然と言えるでしょう。

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