フランス作曲家の中で「歴史を変えた」作曲家は誰ですか? 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 サン=サ―ンス ワルトトイフェル ラヴェル

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確かにベルリオーズは管弦楽の分野において新たな表現を生み出した後世の手本となるような作曲家ですね。回答ありがとうございます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

詳しく解説して頂き、ありがとうございます。

お礼日時:4/16 15:16

その他の回答(11件)

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リュリ ラモー サティ リュリは言うに及ばずです。 ラモーは小節線のある楽譜を広めた人だと認識しています。 ここで音楽とフランス語(言語)の関係が変容していきます。たとえばフランソワ・クープランの無窮動な曲などは言語とは無関係な純音楽ですが、こういう作品は小節線がなければ作られなかったと思います。 サティは小節線をやめました(笑)

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この方でしょうか。 1866年5月17日フランス・オンフルール生-1925年7月1日パリ没。「3つのジムノペディ」(1888)や「3つのグノシエンヌ」(1890)といった珠玉のピアノ曲が有名なサティは、多くの研究者たちによって「ミニマル・ミュージックの元祖」と評され、ほぼ1世紀の時間を隔てたポスト・クラシカル(ネオ・クラシカル)の美学にも大きな影響を与えた側面を持つ。もともとサティ以前にも、オスティナートやグラウンド・バスといった反復を特徴する音楽語法、あるいは永久にループ演奏が可能な常動曲などは存在したが、反復そのものに意味を与えた作曲家は、西洋音楽史上おそらくサティが最初である。840回もの繰り返しが楽譜に指定されていることで有名な「ヴェクサシオン」(1893-94頃)は1963年、ジョン・ケージら12人のピアニストの交代演奏によって初演(演奏時間約18時間)。2007年にはマイケル・ナイマンやギャビン・ブライヤースらミニマル・ミュージックの作曲家たちも完全演奏にチャレンジしている。さらにサティは、聴衆が意識的に音楽を聴くことを前提としない室内楽曲「家具の音楽」(1920)を作曲したが、一種のBGM(環境音楽)を目指したと言える彼の方法論は1970年代のブライアン・イーノにも影響を与え、イーノがアンビエント・ミュージックを始める大きなきっかけのひとつとなった。パリ音楽院中退後、カフェ・ピアニストのアルバイト生活を続けながら「ジュ・トゥ・ヴー(あなたが欲しい)」(1900)のようなシャンソンの名曲を残したり、ピカソやコクトーといった芸術家と交流を深めながら現在で言うところの「コラボ」に挑んだり、ルネ・クレール監督の実験映画『幕間』(1924)では作曲に加えて出演も果たすなど、20世紀初頭パリのアート・シーンとエンタテインメント・シーンを股にかけて活躍したサティの生き方は、21世紀のポスト・クラシカルの作曲家たちの生き方にも重なるところが多い。 https://wasephil.com/blog/919/

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「音楽の歴史」を変えたフランスの作曲家、という事で宜しければ、 ジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)を挙げたいと思います。 イタリア出身で、後にフランス国籍を取得した宮廷音楽家ですが。 拍子を取るために、床を杖で叩いている途中、その杖が自分の足を直撃。それが原因で亡くなったという逸話は有名ですが、「指揮者」の役割を重要視した事はある意味、演奏形態に変化をもたらしたと言えると思います。 また、バラバラだった運弓(上げ下げ)を統一したのも、リュリが最初ではなかったでしょうか? 半世紀後のJ.S.バッハに大きな影響を与えた事も忘れてはいけません。

リュリってフランス作曲家だったんですね。てっきりイギリスの方かと思っていました。 回答ありがとうございます。

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作曲家としては殆どの人が知らないがその曲を知らない人はいないと断言できる曲を作った人がいます。 クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール(1760-1836) 1792年4月25日、ストラスブールのライン方面軍の軍人だったが軍歌の作詞作曲を依頼され一晩で作り翌26日に披露した。 「ライン軍のための軍歌」です。 知らないでしょう? でも、おそらく世界でこの曲を知らない人はいないでしょう。 後にフランス国歌となった「ラ・マルセイエーズ」です。 シュテファン・ツヴァイクの短編「一晩だけの天才」で詳しく描かれています。

この作曲家は聞いたことがないですね。でも、曲名だけだったら聞いたことがあると思います。一晩で作ったなんて驚きです! 回答ありがとうございます。

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え? ドビュッシーじゃないんすか? フランス音楽あんまり詳しくないけど(笑)。 取り敢えず「牧神」で浪漫派とバイバイして、大作「ペレアス」を経てオケの最後。 1913年、シャンゼリゼ劇場。 5月15日、木曜日 ドビュッシー「遊戯」 5月29日、同じく木曜日 ストラヴィンスキー「春の祭典」 ともに指揮はモントゥー。 https://m.youtube.com/watch?v=qXQy0NuRm_s 怪しい(笑)。 https://m.youtube.com/watch?v=tno8SnfwD-M&list=PLLCh9RP8Id-rov2R2UIiEou6FFP5Xo7qO&index=8 激しい。 この2週間がその後の音楽の2方向を示したのでは? 片や、ヴァレーズやジョリヴェに。 片や、日本のタケミツまで。 https://m.youtube.com/watch?v=dEXxxuHA1k0 https://m.youtube.com/watch?v=CJ6VBnXR2R0 ラヴェル賞よりドビュッシー賞すね(笑)。

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