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2021/4/10 18:16

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徴兵された兵卒って、ひどい言い方すれば『足軽』なんですよね?攻撃に際しては有効ですが、防衛武力としては『アマチュア故の脆さ』というのがあって、正直『コスト的に合わない』のですか?籠城戦で『数の力が有効

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足軽は職業軍人ですから、徴兵による兵役ではありません。 明治以前、武士の時代は、徴兵による兵役というのは、 特殊な場合を除いては、存在しませんでした。 だから、明治時代、徴兵制度が敷かれると、 血税一揆と呼ばれた、農民一揆が各地で続発したのです。 >防衛武力としては『アマチュア故の脆さ』というのがあって それは全く逆ですよ。 国家権力で縛られた、徴兵された兵士の方が、 防御戦では逃げずに戦います。 なぜなら逃げたら、罰を受けるからです。 武士=専業兵士というのは、個人事業主ですから、 無報酬の戦い=籠城戦の時は、逃げてしまいやすいのです。 戦国時代の城が呆気なく落城する事が多いのは、 多くが守備兵が退散してしまうからです。 それを防ぐために、江戸幕府は、武士の教育として、 儒教を導入し、忠誠心を涵養する事に勤めたわけです。 そして、武士の時代が終わって、明治政府が国民皆兵の、 徴兵制度を挿入しても、儒教的思想を兵士教育に導入したわけです。

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平時において徴兵された兵隊は、一定の年数訓練を受け、年季が明ける頃には能力の高い歩兵になっていました。工兵や砲兵、戦車兵などの特能を獲得するつもりになれば、初年兵(徴兵一年目の兵隊)を過ぎたところで様々な教育機関に配属され、下士官コースに入ります。また年季が開けたところで軍に残り、兵長、下士官になるコースもあります。 一方足軽というのは、戦国末期にはプロの戦士であり、下級武士層を形成していました。従って市民軍の兵とは立場が違います。近代以降、生まれつき軍人になる階層は存在せず、幼年学校から士官学校に進む士官でさえ、一般社会の中から軍人が育成されるルールでした。 徴兵された兵士は、特別な技術兵を除き、全ての下士官兵の母体となる存在であり、軍の現場を支える土台を形成していたのです。また軍の主力であり、古兵(徴兵2年目以降の兵隊)ともなればプロの兵士といっても良い存在でした。