後白河法皇が建礼門院徳子がいる大原に訪れ、徳子は清盛の娘(人間)として生まれた事、天皇の母になった事、都落ちした事などを語り、

日本史 | 歴史30閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

勉強になりました。

お礼日時:4/18 1:24

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しかし、あの物語に出てくる女性達の異様さ,不思議で成らない。 業を背負い,必死に成仏を求める姿なのだろうか? 彼女たちは自分の力では成仏できないとされていたのでは?只、荒野の中で死を待つのみ,。身につけていた物はすべて一門の供養に使い果たし、自分たちの後生を託す人もいない。法王は何しに来たのだろうか?・・・・・不思議

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平氏追討を命じたことは別に悔やんではいないでしょう 清盛にも煮え湯を飲まされ、平家一門の傍若無人ぶりもずっと苦々しく思っていたとはずですから しかし、そのいくら清盛の娘といっても、徳子は父親に利用されただけでなんの罪もありませんから、同情するのは不思議なことではありません まして、我が子である高倉天皇の中宮です つまりは息子の嫁で、義理の娘です 男たちの権力争いに利用され、翻弄されたあわれな女子です 今で言えば、息子の嫁の実家の人間が大それた罪を犯し、家族も離散したとして、何にも悪くない嫁に慰めの言葉くらい掛けるものではないでしょうか? まあ、現代なら「お前のせいでうちの家族まで、肩身が狭い!」とか罵倒する人もいるでしょうが、そういう人は後白河法皇よりもはるかに人間的に劣るといえましょう

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清盛と対立し監禁までされてた頃は、憎いだけでもいなくなれば息子の嫁で孫の母親じゃないの。かって愛していた后の姪でもある徳子を憐れむのは当然でしょう。