回答受付が終了しました

ID非公開

2021/4/14 8:19

1010回答

江戸時代の日本人のほとんど(一部の学者や彼らと接触のある大名などを除く日本人)は、地球は平らだと考えていたのでしょうか?つまり、当時の日本で地球球体説はほとんど受け入れられてなかったのでしょうか?

歴史 | 天文、宇宙85閲覧

回答(10件)

1

何の本だったか忘れましたが、江戸時代の小話で「地球が丸いから」という会話を見たことがあります つまり庶民でも地球が丸いのは常識だったようです 一方同時代の欧米では地球が丸いことを知らない庶民が多かったそうです これはキリスト教の影響で、現在でも欧米ではビッグバンを知らない人が多いそうです

1人がナイス!しています

0

関心のある人にとっては「とても興味深いこと」であったでしょうが、一般庶民 (どこまでが「庶民」なのかは難しいですが)にとっては「あまり関心のないこと」だったと思われます。

0

既に回答が出揃っている中で失礼ですが、今の科学でも見直されなければならないのが沢山あります。 長くなっていて私個人の思いなので、面倒とお思いでしたら無視されてもいいです。 その一つに惑星の公転には大疑問があった筈なのに、殆ど誰もと言っていい程疑問してません。 今の科学では大量に浮いていた物質が集まって来て、中心に太陽周りに惑星が出たとされているのですが、これで惑星や太陽(恒星)が回転になったのでしょうか? 宇宙に浮いていると自然に全体で回転していたと、宇宙の学者は考えているようです。 しかし物質は全体で上下左右前後と集まって来るのでは、球体になりそうです。 恒星では確かに球体なので、これでいいのですが、惑星の固体では球形です。 しかし公転の軌道では、どうでしょうか。 惑星も集まって来る時上下左右前後と来ます。 そして恒星を囲むように集まって来るので、軌道が平らな面になりそうもありません。 恒星の周りにこれを取り囲むように、離れてた位置の軌道に存在出来るでしょうか? 全体の惑星が全て恒星の重い重力に引かれるだけで、もっと大きな恒星になりそうです。 そして全体が集まって来るのは全体の周りから来るので、回転さえ起きそうもないようです。 これ程大きな疑問にありながら、太陽を中心に惑星が公転になっています。 ところで惑星の自転が起こったのは、これが集まって来る時に回転し始めていた事になったいますが、これも上で述べたように怪しいのです。 全ての方角から物質が来たからです。 それで私はこの疑問を解決する為に、新たに太陽(恒星)が出来た理由を考えて回答しているので載せてみます。 今の科学で言っている宇宙観を否定しているので、説明の為に長くなってます。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14227774769 上を辿ると1987Aと言うのが出ないのですが、それは下を入れ替えて下さい。 https://hubblesite.org/contents/media/images/1995/49/374-Image.html

0

識字率も今ほど浸透していますいなかったので、聞いた話として接しても、理解は勿論、関心を寄せることは無かったのでは無いでしょうか? しかし、庶民の一部には、和算を初めとする数学の知識を持つ愛好者もいたそうで、難易度の高い出題は、寺社に奉納したり、最初の正解者は懸賞や名誉名声が得られたそうですから、それらの方々は、地球が球体であるこのは勿論、日蝕の起こる日時を計算していたので、その影響力は、それなりにあったと思います。 岡田准一主演の映画『天地明察』は、当時の数学と天文学のレベルの高さを、伺い知ることが出来ます。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E6%98%8E%E5%AF%9F 庶民の一部

画像
0

地球が丸いことは、江戸時代の初めには、わかっていたでしょう。 なんせ、天正少年遣欧使節が西へ西へと旅してローマへ行き、 支倉常長が東へ東へと旅して同じローマに着いたわけですから。 それに比べると、地動説の方は、江戸後期~末期だと思います。 https://www.ndl.go.jp/nichiran/data/R/114/114-003r.html こちらは、画家としても有名だった司馬江漢が書いた コペルニクス(刻白爾)の天文学の解説書です。 地動説が普及してなかったから こういう本を出版しなければならなかったと考えるか、 こういう本で普及を図ったので地動説が浸透していたと考えるか、 解釈はいろいろあろうかと思います。