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2021/4/14 20:05

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自殺すると成仏できないというのは

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

死のうと思えばいつでも死ねるので 好きなことでも見つけよううと 思います。 やはり自殺は成仏できないようですね。 皆さんから勇気もらいました。 今までもこれからも、耐えられる 自分でいようと思いました。 ありがとうございました。

お礼日時:4/19 18:27

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わからないことを延々と悩む人生が 続くだけです。 死んだらわかる?と思いますが、 自殺したら、やり直し(やっぱやめる!)は できませんからね。 まあ、いずれにせよ、いつかは死ぬんですから、 その時わかるってことでいいんじゃないですか。 今すぐ知りたい欲求よりも、 死んだことを後悔するリスクのほうが 明らかに高いでしょうし。 >それがあるから、もうなん十年と頑張ってきました 普通のことですよ。 人間、みんな死ぬのが怖いのは、 どうなるか?わからないからだし、 死んだら誰とも会えなくなるし、 話もできないし、 楽しいこともできない?し、 何もかもわかんない、からですよ。 >自殺すると成仏できない これも人間が作った?話の1つで、 神様がいあるとか、 地獄があるとか、 閻魔大王がどうのとか、 死んだあとのいろんな話は、 ぜーんぶ人間が作り出した話でしかない。 もちろん、どれかがほんとかもしれない、 でも、それはいつまでたっても、 誰にもわからない。答えなんか出せる人はいない。 だから、信じるか信じないか?でしかない話。 >自殺すると成仏できない あなたが信じるなら、 この恐怖と戦うって意味で、生きていくしかないね。 信じないとか、死んだら天国へ行ける?とか 信じてるなら、自殺でもなんでもすりゃいい。 どうなるか、行ってみてわかる?だろうし、 後戻りはできないし、 ここであーだこーだ生きてる人間が言ってたことが ほんとかどうかわかるかもしれない。 いちかばちか、だよね。 何を信じるか?で、自分の人生決めるしか ないことだよ。

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仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄(つじつま)が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。天国や地獄は生まれる場所のことなのです。 人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたい、苦しんでいる人を救いたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアも困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも菩薩行です。菩薩行を重ねることで仏性がその人の人格となる。それを「覚りを開いた」とか成仏した(仏に成った)と言います。 恨みや怒りや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。それは恨みや怒りや嫉妬は自分が幸せになるための合理的な正しい判断をできなくするからです。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。 人間は生きている内に様々な罪を犯しながら生きています。その中で最も重い罪は恨まれることですが、恨み続けることも相手の不幸を願うようになるので罪となります。天国に生まれるための善行は感謝されることですが、感謝することも善行になります。「ありがとう」と言われることは最も大きな善行ですが、「ありがとうと」と言うことも相手を幸せな気持にすることができるので善行になります。悪行と善行のどちらが多いか、またはどちらが重いかで天国か地獄、又はその中間になるかが決まるようです。 仏教は前世で強い絆で結ばれた相手とは再び出会うとされています。それを縁と言います。感謝されれば良縁となり、生まれ変わっても助け合える存在として出会えますが、恨まれれば悪縁となり、恨んでいる人の人生の障害となるようです。人生に成功し幸せを掴んだ人は人生の節々で支援してくれた人がいたとか、助けてくれる人が現れたという話をします。反対に人生に失敗したり地獄の苦しみを味わっている人は人に裏切られたり騙されたりしたとか、足を引っ張るような人がいたという話を聞きます。これが良縁と悪縁の違いです。縁も因果応報なのです。 生まれ変わるときは死んでいく時の気持ちと、母親となる女性の気持ちが共鳴した所に生まれるそうです。これを感応妙と言います。感応とは相手が楽しそうにしていればこちらも何となく楽しい気分になり、悲しそうにしていれば悲しい気分になるようなものです。死にゆくときに多くの人に感謝されながら幸せな気持ちのまま死んでゆけば、母親となる女性も多くの人に祝福されながら幸せの中で出産していることになります。反対にだれにも看取られることなく一人寂しく死んでゆけば、母親となる女性も一人寂しく出産していることになります。趣味が同じ人が引き合うように同じ境遇の人どうしが共感し引かれ合うのです。ただ仏教では感応し合うのは人間だけとは限らないと言っています。 自殺がなぜいけないかと言うと、自殺は孤独と絶望の中で死んでゆくのですから、生まれ変わるときに孤独と絶望の中で出産している母親の元に生まれることになります。ただそれだけではなく周りの人にも取り返しのつかない後悔と悲しみの記憶を刻み付けることになります。ようするに自分だけでなく自分のことを一番心配してくれる人たちも地獄の道ずれにしてしまうからです。仏教は自殺したら地獄とは言っていません。例えば安楽死のようにみんなに見守られながら心安らかに死んでゆくことができれば地獄ではないということです。

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あなたは、その言葉を保つことでギリギリの状態で踏みとどまっておられる。その言葉を一笑に付すことも出来たハズです。 その言葉を採用した根拠が自分にあると存じます。しかし、何十年経っても結果は出ず、状況は改善するどころか、何をするにも金金ばかりで、世間では汚れた話ばかりで疲れます。弱気になって当たり前ですね。 世には清らかな方々がちゃんといます。 清らかな一言を聞かずに何十年も生きるより、清らかな一言を聞いて一日過ごすほうが圧倒的に価値があります。 ネットでは優しい事に、如来の独り言、がありますので、どうか親しみ近づいて、どうか自らによって人生を一変させて下さいませ。

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自殺しなくても、生きているうちに、創造主なる誠の神様に対する背きの罪を悔い改めず、救い主イエス様も信じていないのならば、人はみな死後地獄で罰を受けます。 「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」 http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257