西郷隆盛の功罪?について。

補足

学校の授業、教科書ではそういう記述ですね。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:4/20 7:58

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ちょっと待て 多くの有能な青年たちを道連れに戦死 この部分いろいろおかしいぞ 学校の授業、教科書ではそういう記述はない あるなら、画像をだしてみろ

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西郷隆盛は、非常に分かりにくい人物です。大政奉還後の残党組を壊滅状態にさせた認識です。勝海舟とも交渉してるけど、戊辰戦争とか彰義隊の上野戦争とか、。新政府の下で、軍の総司令官に抜擢されるんですが、海軍に長州藩が多く(9割方)嫌気が差して、蹴って薩摩に帰ってしまうんですよ。その後西南戦争を起こす。強いリーダーシップがあり、仕えた侍達への責任感を感じてた思うのです。大変懐の深い情の人だった思うのです。 私は、学生時代 日本史を教わった記憶がありません。もし間違っていたら、ご免なさい。

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そうでしたか。確かに西郷の評価は難しいですが、最後まで素朴で清貧?庶民感覚が凄かった。大久保にはできない懐の深さ。日本の近代史最大の偉人でした。

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詳しく語ると長くなるので簡潔に 西郷でも止められなかっただろうね だからこそ自分も身を投じた

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そうでしたか。村田新八親子、永山弥一郎、桂久武。宮崎八郎ほか飫肥指導者、中津の増田など。皆、明治日本に貢献できた人材でしたね。

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1、西郷は自殺願望に近いものを何時も持っていたと思います。実際、入水自殺未遂もしてますし、島に流されたときも、そこで死ぬつもりだったでしょう。 2、彼の思想としては、改革や世の中を変えるには、とことん戦って、灰のなかから新しい世の中を作れるというものがあった。だから、武力討伐に拘ったし、江戸を火の海にしてまでも叩き潰す意思だったと思います。結果、慶喜の完全無抵抗主義と勝の交渉で、江戸が灰になることはなかったですが。 3、一方で武士の精神性は彼の中では重要な要素であり、彼は武士階級を無くしたくなかったのでしょう。 しかし、西洋の価値観を基本とする新政府では、武士の存在自体が反対勢力になってしまった為、彼の中で矛盾することとなってしまった。 1、2、3の考えが合わさって、西南戦争が勃発したのではないかと思う。 西郷の考えでは武士は自分の命に拘るものではなく、どのうように死ぬかが重要であるという考えがあったでしょう。 武士階級に拘る薩摩士族は、新政府では改革を阻害する反対勢力になってしまった。 であれば、最後の武士である彼らに武士としての死場所を与えようとしたのではないかと思います。 いわば、集団自殺に近い。そして、この自滅は新政府にとってもプラスに働く。現に西南戦争以降、内戦はなくなりました。 飽くまで、自身の個人的意見です。

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なるほどですね。そういうことでしたか。九州各県の大志を持った多くの青年たち。全国から参戦した若き政府軍兵士。死ななければ良かった?

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西郷の最後の功績は、不平士族を道連れに死んでくれた事だと思いますよ。 その後、不平士族の反乱が急速に収まって行くので。

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