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2021/4/19 17:57

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豊臣が大名として生き残るには。

日本史54閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

家康がどう考えていたかは今となっては知りようがありませんが、ある時点までは確かに融和路線でしたね。寿命と秀忠の器量、外様大名まで大動員すると恩賞を分配できないという非常に高リスクなど考えると一気に戦ともいかず悩みに悩んだ末の事でしょうね。

お礼日時:4/20 22:06

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そもそも家康が豊臣家を残す気があったかどうかはよく分かってないです。 結果的に豊臣家は滅亡していますが、家康は秀頼を大名として残す気があったという説もあります。 その場合幕府が常に監視できる下総か上総に数万石の所領を与えていたという説もありました。 ただ豊臣家そのものの影響力が大きすぎること、秀頼の母である淀君が健在だとその影響力を活用して不穏な動きをする可能性があること、幕府がまだ安泰でないという色々な要素が絡んできて滅ぼす結果になりました。

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実は、秀吉系統は滅びましたが、秀吉の正室「北政所(ねね)」の系統が残されました。 北政所は、豊臣家がなくなることを憂い、家康に存続を訴えました。それに対して家康は、北政所の親族に、備中足守(今の岡山市北区)に一万石を与え(さすがに豊臣や羽柴は名乗らせませんでしたが)、木下家として存続させました。 一時的に改易されましたが、後にに許され、幕末まで続きました。現在は陣屋の堀や石垣、大名庭園、そして家老の屋敷が残っています。 また、足守藩とは別に、近江国(今の滋賀県)に所領を与えられた木下家も有ります。

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>譜代の次男三男などを筆頭家老としたいと申し出る こんな条件を家康が飲むわけない >千姫との間に男子をつくり、早々に秀頼は引退して家督を譲る これは微妙なんだけど、無いと考える なぜなら、我が子の信康ですら殺してるから 完全に公家化すれば助かるかもね

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結局いかに臣従を誓おうが「豊臣家の嫡流」という存在が反豊臣家にとっては爆弾なので、いったんは受け入れられても何らか理由をつけて改易させられたり死を命じられてするでしょう。 本人にその気がなくても周りから担ぎあげられる核になりうる爆弾なのです。 特に、千姫と男子ができたりしたら危険です。 両家の血を引く最優良血統です。 その子を3代将軍にしよう!という気運が高まりでもしたら豊臣、徳川双方の恩顧にとって格好の落としどころになってしまいます。 さすがにそのような子供を大名として飼い置けるとは思えないです。

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秀頼さえ臣従してくれたら幕府としては万々歳です。だって秀頼を滅ぼしたところで没収できる土地は僅かです。これが関ヶ原や室町時代の明徳の乱、応永の乱のように没収できる土地が膨大なら戦をする価値はあります。 だから秀頼が臣従して大坂を離れたら幕府は石高はそのままか多少は色をつけたかもしれません。それで旧主家で将軍家とも縁戚ですから親藩に準ずる待遇は得られたでしょう。ただし、大坂を離れるのは絶対条件です。