鎌倉時代に日本の歴史に忽然と現れたアイヌ、 それまでは東北、北海道には大和朝廷が全国的に活動していたようですが、ーー

補足

ありがとうございます。 やはりアイヌは、 南アメリカ大陸南端の先住民族が、何かの理由でのがれてきて、 チモールあたりから、北上して、 沖縄に一時期滞在してから、 対馬海流に乗って、礼文や、樺太、千島、道東に住みついたのですね!? 能登半島の先端にも痕跡が有る? 別の回答の方より、 北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人の「Y染色体ハプログループ」 ↑北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800~3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体ハプログループがD1a2a2a(D-CTS220)であることが判明した。 【考察】これは、今から「約3,800~3,500年前」の北海道礼文島には、本州と同じ「縄文人」は居たが、アイヌ人は居なかったということを示唆しています。 大変貴重な御回答ありがとうございます。

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愛知県田原市の遺跡で見つかった「縄文人」とされる人骨から抽出したDNAの塩基配列を詳しく解析したところ、アフリカからアジア東部に到達したホモ・サピエンスの集団の中でも最古級の系統に属することがわかったと、金沢大や東京大のグループが報告した。日本列島人の成り立ちを探るための新たな手がかりとして注目される。 DNAを調べたのは、伊川津(いかわづ)貝塚遺跡から出た人骨(約2500年前)。縄文晩期の土器が発掘されており、グループは「縄文人」とみなしている。 アフリカで約20万年前に誕生したホモ・サピエンスは、4万~5万年前にアジア東部へ到達し、日本列島には3万5千年前ごろにやってきた。この時期の人類の遺物はヒマラヤ山脈の北側でも南側でも見つかっており、どのルートを通って日本列島に達したかははっきりしていない。 渥美半島フラワーパークの所?伊川津 チベットと日本が世界最古の人類DNAかも!?

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。 やはりアイヌは、 南アメリカ大陸南端の先住民族が、何かの理由でのがれてきて、 チモールあたりから、北上して、 沖縄に一定期間滞在してから、 対馬海流に乗って、礼文や、樺太、千島、道東に住みついたのですね!? 皆様貴重な御回答ありがとうございました。!

お礼日時:5/13 9:18

その他の回答(7件)

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アイヌは、Ασίαπλειόκαινο-Τριχωτό-Μογγουροιδ(アジアパライケアイヌトライコートモンゴロイド「アジアの古く遅れた奴ら、毛深いモンゴロイド」)であったとも考えられます。アジアパライケアイヌトライコートモンゴロイドという名称の途中の三音節の「アイヌ」という音節がアイヌ(Ainu)のことを言い表しているはずです。そしてアイヌ人は人種的にはモンゴロイドのカテゴリーのようです。

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想像を巡らすよりも、専門書をお読みになった方が話が早いのでは?

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ポリネシア人と縄文、アイヌは全くの無関係です。 「本土日本」の先住民は「縄文人」です。アイヌ民族は、日本人の祖先の一つである縄文人に極めて近い集団ですが、若干違いがあります。縄文人とアイヌ民族は、古代に、中国大陸のどこかで分かれた「別集団」と推定されます また、アイヌ民族は、おそらく本州方面にも、一時的に入ってきたものと考えられますが、その後、北海道方面へ引き上げていったと考えられます。 Y染色体ハプログループを見れば、縄文人とアイヌ民族とは、明確に別人類集団であることがわかります、つまり ------------------------------------------------ ・日本人(大和民族)の片方の祖先=縄文人 ・アイヌ民族の祖先=アイヌ系縄文人 「縄文人 ≠ アイヌ系縄文人」となります。 ただし、「縄文人」と「アイヌ系縄文人」とは、同じY染色体ハプログループ「D1a2a系」であり、極めて近い人類集団であることは確かです。 ----------- 【Y染色体ハプロタイプ「D1a2」詳細で見ると以下の通り】 ----- 「Y染色体ハプログループ」は、渡来方向と時間軸がわかります 2020年4月16日改訂のISOGGの系統樹(ver.15.58)による D1a2a*←アイヌ民族(81,25%)◆ D1a2a1←本土日本人のみ D1a2a1a←アイヌ民族(6,25%)◆、本土日本人(6%) D1a2a1a1←本土日本人のみ D1a2a1a1a←本土日本人のみ D1a2a1a2←本土日本人のみ D1a2a1a2←本土日本人のみ D1a2a1a2a←本土日本人のみ D1a2a1b2b←本土日本人のみ D1a2a1b2b1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1←本土日本人のみ D1a2a1a2a1a1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a1←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a1a←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1a1←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1a2←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1a3←本土日本人のみ D1a2a1b2b1a1a1b←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1b1←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1c←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1d←本土日本人のみ D1a2a1a2b1a1a1e←本土日本人のみ --- 省略 --- D1a2a2←本土日本人のみ D1a2a2a←◆北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人 D1a2a2a1←本土日本人のみ --- 省略 --- D1a2a2a2b←本土日本人のみ D1a2a2a2b1←本土日本人のみ D1a2a2a2b2←本土日本人のみ D1a2a2b←本土日本人のみ ↓アイヌ民族の「Y染色体ハプログループ」は以下の通りです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E8%AA%BF%E6%9F%BB ↑ハプログループD1a2aが87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%) ---- ↓北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人の「Y染色体ハプログループ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA#%E5%88%86%E5%AD%90%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84 ↑北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800~3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体ハプログループがD1a2a2a(D-CTS220)であることが判明した。 【考察】これは、今から「約3,800~3,500年前」の北海道礼文島には、本州と同じ「縄文人」は居たが、アイヌ人は居なかったということを示唆しています。 ------------------------------ D1a2a*←アイヌ民族(81,25%)◆ の「*」とは、 「D1a2a1」系ではなく、「D1a2a2」系でもない、べつの「D1a2a」という意味である。 アイヌ民族の調査数が、日本人並みにべらぼうに多くなれば、D1a2a*=「D1a2a3」系とか「D1a2a4」系になる可能性があります。 つまり、日本人(大和、沖縄)とは、まったく別の「D1a2a」という意味である、これで「ハプログループ」でよく出てくる「*」の意味が分かったでしょう。 --------------------------- アイヌ人は、私たち「大和民族(ヤマト人)」の元となった「縄文人」に極めて近い系統の集団となりますが、おそらく中国大陸の何処かで「縄文人」と別れ、別行動をとり、樺太経由で日本列島に渡来したものと推定される民族集団です。 まず、北海道では、アイヌ文化の前に擦文時代があった。 そして、縄文人といえばつきものなのが「縄文土器」であるが、アイヌ文化は「鉄器」であって、伝統文化の中に土器が全く見られない。 擦文時代(さつもんじだい)は、北海道の歴史のうち、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて、擦文文化が栄えた時期を範囲とする時代区分。本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とする(青苗文化も参照)。後に土器は衰退し、煮炊きにも鉄器を用いるアイヌ文化にとってかわられた。 擦文文化からアイヌ文化への移行についてははっきりしたことがわかっていない。 擦文式土器=「土師器」に近い(本州の「埴輪」も土師器) ------------------------------------------- ↓コロポックル(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB ↓アイヌ人の小人伝説は北海道や南千島、樺太に広く流布しており、地域によって差もあるが、大体次のようなものである。 ---------------------------------------------- アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロボックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいた。 彼らはアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態であった。 そんなある日、あるアイヌの若者がコロボックルの姿を見ようと贈り物を差し入れる時を待ち伏せ、その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしておりその手の甲には刺青があったという(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれている)。 コロボックルは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまった。以降、アイヌの人々はコロボックルの姿を見ることはなくなったという。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らがかつてこの土地にいた名残である。 ---------------------------------------------- もう一つ、注意が必要なのは、「アイヌ人」は、「ヤマト人、オキナワ人」には入っていない、別の、第三の系統の人類集団の「DNA」が入っています。 ↓東京大学プレスリリース(報道機関への発表) http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html ↓ここを通過してきたという事です。本土日本人には「ニブヒ」のゲノムは含まれていないので、「縄文人」と「アイヌ民族」との間には、明確な時間差があったという事になります。

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↓もともと、中国大陸に「縄文人の祖先」の母集団がいて、南北から日本列島に渡来したと推定されています。これが「縄文人」です。

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文化人類学の常識ですが、文化は中心から始まって周辺に漸次伝わって行く。と同時に常に変化を続けていくものなので、早く始まった中心部では早く消えていく。結果、周辺部(田舎)ほど古い文化が残っているのです。 ニューヨークで生まれたファッションが、日本やアジアで流行る頃には、本場ではすでに遅れたものになっているのと同じです。 これは文化も、それを伝播させる人間(民族)も同じ理屈です。ユーラシアに生まれたモンゴロイドが先史日本列島だけでなく、当時は陸続きだった北アメリカ、南アメリカ大陸まで広がって行った。しかし遠い大陸最南端(さらに島伝いに南太平洋まで)に達する頃には、ユーラシアには寒冷地に適応した新モンゴロイドが生まれて、また周辺に拡大して行ったのです。 単純化すれば日本では古モンゴロイドが縄文人、新モンゴロイドが弥生人の中核となった渡来人です(その後順次混血しますが)。その拡大は弥生~大和朝廷(平安初期)まで続き、東北の蝦夷討伐もその一環。海峡で隔絶されたため、北海道に及ぶのが鎌倉時代(大和朝廷は北海道で活動していません。蝦夷地やアイヌの存在を知らないか興味がなかっただけです)。 同様に、その後巨大な大洋で隔絶された南北アメリカや南太平洋に、ユーラシア(欧州)の人と文化が伝わるのはさらに遅れて大航海時代になったわけで、日本よりさらに遠い地域に、古モンゴロイドが保全されていたのは当然で、直接交流がなくても説明がつきます。どちらも「田舎」だったので新しい人種の流入が遅かっただけです。 ただ、どんな理論も想像することは自由で、趣味の範囲ならなんの問題もありませんから、知人の方の説も話としては楽しいと思います。しかしそれが正しいかどうかを色々調べることで、さらに想像の範囲(世界)が広がるでしょう。

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色々と事実誤認があるかと思います。 まず、アイヌは日本人における大多数を占める大和民族とは異なる先住民族として政府でも認定しており、少なくとも大和民族が朝廷を開く前からの土着民族となります。 日本は古来からヤマト民族による単一民族国家ではありませんでした。ヤマト民族が国家を作る過程で九州の隼人や熊襲(クマソ)民族、東日本(一説によると中部地方)以北の蝦夷(エミシ)等がおり、これらを討伐もしくは融合して出来た国家です。この事は日本書記や古事記にも書かれている内容ですね。 さてアイヌ民族ですが正確には何をもってアイヌが成立したか彼らに文字の文化が無かった事から分かっていないのですが、基本的には日本の先住民族であり平安時代初期の蝦夷討伐後に分散した民族とも言われております。 特徴としては水耕を行わず、狩猟採集文化を持った民族であった事からヤマト民族の迫害を受けて北上した際に、稲作の出来ない東北や蝦夷(エゾ)での生活が出来たという事が大きいです。元々、ヤマト民族は大陸から農耕文化を持ち込んだ民族と言われておりますしね。 鎌倉時代の事は良く分からないのですが、文献に残っているのは江戸時代ですね。松前藩はアイヌとの不平等交換で得た産物を上方へ輸送販売する事で利益を得ていた事は有名な話しです。 日本人もアイヌの方もモンゴロイドで、モンゴロイドの中で比較的アイヌと生活文化様式が近いのがエスキモーやイヌイットの為、そちら(北方)から来たと言う学者もいるようです。 学術的には色々な分類があり、いろいろと議論されている事なのでそれらを考えるのは楽しいですよね。

アイヌは日本人における大多数を占める大和民族とは異なる先住民族として政府でも認定しており、 ありがとうございます。 それは事実誤認であるという方が過半数じゃーないでしょうか? 大和朝廷時代にはクマソやエミシが存在していましたが、 同じ日本人です。 アイヌだけが、先住民であるなんて暴論じゃーないでしょうか? アイヌの一部は、エミシの分派かもしれないのですね!?