日本は明治以降、イギリス寄りでしたがどういった経緯でドイツ寄りになったんですか?

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イギリスの立憲君主制における君主は、実際には「君臨すれども統治せず」であり、議会の勢力が強過ぎることなどから、当時の日本の国情には合わないと考えられたことが一つあります。 また、明治3~4年に起きたプロイセン=フランス戦争で、フランスを破った勢いで統一を成し遂げたばかりだったドイツを、欧米歴訪中だった岩倉使節団が訪れることになり、ビスマルクの演説を聞いて感銘を受けたというのが、やはり大きかったと思います。 当時は世界最強国だったイギリスよりは、相対的に後進国でそれを追いかける立場だったドイツのほうが君主の権力が大きく、富国強兵政策を進める上では参考にしやすかったようですし、ドイツは医学や化学をはじめとする学問も盛んで、当時勃興しつつあった重化学工業においてもイギリスに迫る勢いだったので、その恩恵も受けられると考えられたようです。

ああ、かつては日英同盟とかもあったのに、なぜ第二次大戦にかけてドイツ寄りになっていくかという話なら、少し上の答えとは別になります。 いちばん大きいのは、中国権益をめぐる対立ですね。 第一次大戦中に、日本が火事場泥棒的に対華二十一カ条を出したことから、中国に多大な権益を持つイギリスや、太平洋を挟んで対峙することになったアメリカから警戒され、大戦後に日英同盟を破棄させられることになります。 日本はその後、満州事変を起こして国際連盟を脱退してしまい、日中戦争では上海から南京にかけてを占領したため、イギリスの利権と本格的に衝突することになります。 ところが、短期間でケリがつくはずの日中戦争は泥沼化し、重慶に逃れた国民党政府を米英などが援助したために、日本はこの戦争を自力で解決できなくなります。

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イギリスが日本に似た王政だったので イギリス寄りになりましたが 日本があまりに非常識なため イギリスが愛想を尽かして 険悪な仲になっていきました 当時のイギリス議員の手記によると 日本は要求ばかりしてくるくせに こちらがなにか言うと 「前向きに努力します」 「本土に持ち帰って検討します」 と言うだけで 何一つやらない 第一次大戦でも日本に軍の派兵を要求したのに 結局1兵も寄越しませんでした こんなんでイギリスもだんだん日本に愛想を尽かしたのです なんだ、今の日本じゃねぇか