「古事記の出来(内容)がダメだった、外国人に見せられない、 『だから』わずか8年で日本書紀を作った」という意見に遭遇しました。

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ベストアンサー

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

やはり珍説の部類ですよね。 考えの元までご提示いただき、納得できました。 ありがとうございました!

お礼日時:5/14 6:53

その他の回答(3件)

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古事記と日本書紀とでは伝える内容が異なってきます。 簡単に言ってしまえば、世界史と日本史です。 古事記ではどのように文明が島国に渡り、日本が建国されたのかがわかります。 日本書紀では日本が建国されてからの日本での出来事をピックアップしています。 スサノオを表す漢字が日本書紀と古事記で違っているのも、世界史であれば梵字を用いて海外と日本のモノを分けなければなりませんが、日本史になれば『国内の出来事』に主軸を置いているので簡略化することが出来るわけです。 単に『古事記はファンタジー』と言ってしまえば簡単な事ですが、実際は異なります。 漢字そのものも現代と違う意味合いで使われているので、現代訳をすればファンタジーになりますが、当時の意味合いで解釈すればちゃんとした歴史が書かれた内容として解釈できます。 古事記にはちゃんと古代ペルシャやパキスタンやインドやシュメールが登場しますよ。

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三国志によると7世紀初めぐらいには百済や新羅でも国史の編纂が始まったようですね。当然、この二国と交流のある倭系の加羅諸国や大和朝廷にもこういう情報はもたらされるし、推古天皇や厩戸皇子の時代には日本の国史の編纂意識されていいたでしょう。ただシナの正史のような書物の編纂となると、その実績もノウハウも無ければ幼稚なものしか出来ず、却って恥を掻くだけのことになる。 だから最初の正史である日本書紀は百年ほどの年月をかけて計画されたと見えるべきでしょうね。 しかし、その「日本正史」に先駆け、たとえ幼稚でもいいから当時存在する断片的な漢文史料を稗田阿礼に和語で訓読させ(読み慣わせ)、編纂されたのが古事記(ふるごとふみ)でしょう。こちらは最初から国史にするつもりはない。実際、書かれてから数十年で誰も読めなくなった。ちゃんとした漢文ではなく、和漢チャンポン表記で記述されていたからです。 この古事記が江戸時代に本居宣長という、緻密な考証家である(宣長は当時日本に存在する古書をすべて頭に入れていたと言われる)と同時に、天才的なインスピレーションを持つ学者が読み解いたのは日本史最大の幸運であったと言える。現在の古事記研究もすべて宣長の「古事記伝」を下敷きにしている。 これに対し、最初からシナの正史に倣って編纂されたのが古事記である。当然、唐や百済などからも大勢の漢語・漢籍に詳しい学者が編集に参加し、本文はほぼ完璧な漢語で書かれていると言われる。その注釈も際めて「現代風」で、古事記には一切ない「注釈」が詳しいのも特徴である。例の三国志魏書東夷伝の倭人条の記述も神功皇后紀の注釈に表れ、書紀の編集者は卑弥呼を神功皇后と見ていたようである。 つまり、同じ大和朝廷が編纂した古事記と日本書紀は最初から編纂目的が異なっており、その編集の時期は古事記の方が短いだけで、両者は同時並行的に進められたものだろう。 古事記はもっぱら古い国内で焼失を免れていた断片的な資料を古語に復元し、前後に矛盾する記載、異伝も敢えてそのまま記録している。「漢語でも日本語で訓める部分だけ漢語で書き、その他の人名や和歌など漢語では書きようがないものだけ借り字で」書いたものである。 ただ実際には8世紀の後半には漢文の部分もほとんど訓めなくなっていた。現代の普通の日本人が戦前の文書を正確に読めないのと同じである。 これに対し漢文は和臭があるもののほぼ漢文であり、今でも正確に原文が読める。お陰で上古以前の日本の歴史を紐解く最大の典拠になっているわけだが、残念ながらシナの史書の通弊である、「歴史観」によりねぢ曲げられている。例えば、武烈天皇に関し、古事記には皇子がいなかったことなど簡単な記述しか無いが、日本書紀は「悪事ばかりし、善いことはひとつもしなかった」とまで書く。 どちらかが大嘘を書いていることは確かだろう。この天皇の後、皇統を継ぐ人物がおらず、やむを得ず応神天皇の5世孫であるヲホドのミコトを越前から迎え、皇位を継承させた。日本書紀がこのような失態を招いたのは、武烈天皇が悪逆な天皇だったからだ、と言いたいのであろう。シナの歴史観である。

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不可能。 古事記で和語(以音)が使われている理由を説明出来ない。整合性ない解釈。 ネットの原文では和語の部分は色変えるかフォント変えてるので直ぐに分かる。 並行して編纂されてる。 古事記は中国語と和語(以音)、日本書紀は中国語のみで書かれている。 当初から違う目的で編纂されたとしか解釈出来ない。