ヒスイの勾玉は、青森から南九州まで日本全国の遺跡で見られるのですか。 畿内周辺が多いのでしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。

お礼日時:6/19 8:04

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玉造という地名もあるぐらいですから生産地にはこれを求めるひとが徒歩で時間をかけて訪ねていたはずです。 東北の古代でも珍しくありません。 なんでも沖縄まで定期的に装飾の材料を求めて渡海していたそうですから、古代人たちには、なんでもないことだったんでしょう。

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青森の三内丸山でもヒスイの輪っかが出ています。産地は地元ではありません。(やっぱ糸魚川かな???) 同じく黒曜石も出ていますが、北海道のものだとか。地元でも黒曜石の産地があるのに、です。成分分析をすると産地がある程度分類できるそうです。縄文人も透明度でランク分けしていたのかもね。 縄文人の交易範囲すげーな、とも思ってみるのですが、海の向こう中国はとっくに文明が開けていて、『三国志』が弥生時代で縄文は「項羽と劉邦」や徐福の時代だったりするわけです。未開の日本人相手に商売をしていたとも考えられます。

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新人物往来社「古代翡翠文化の謎文化の謎」森浩一。2000円 質問が多いので本でも読んだ方が良いよ。古本屋で100円で買った。