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2021/6/10 10:40

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ただ心穏やかに生きていくのは案外難しいということに気が付きました。

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仏教に限定するより読書習慣をつける方が良い気もします。 静かなところで中断せずに6分以上読む小説はストレスに一番と言える程効果があり、交感神経が抑制される事が研究で分かっています。ですので習慣にすれば大分穏やかに過ごせると思いますよ。

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>何事にも動じることなく、周りの人達にも優しく接する事ができる >そんな人間になりたい 損得を考えないこと、ですかね。おおきくザクっとしてますけど。 自分に余裕がないと、他人に優しくもできませんし、 イライラもしちゃいますしね。 損得を切り離すことも、そう簡単にはできません。 でも、やってみると、以外とどうでもいい?というか、 たいしたことのない、損得にまで必死になってしまっていて、 大事なモノを失っている、、、そんなことが多くなっている ことに気が付きました。 この世で生きていくためには、人間と関わらないというのは、 無理ですし、助けてもらわないとどうにもできないことだらけ ですから、現実的に宗教に行くのは、逃げてるだけで、 解決はしないでしょう。 むしろ、はまってしまうと、それこそが唯一無二の正義?で あると信じてしまって、そうでない人たちを攻撃したり、 してしまう性格になってしまった人も数多く見てきました。。。。 私もいろいろ体験してきましたが、 この答えがあるとしたら、 「人を許すこと」じゃないかと思いました。

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こんにちは。「tyran」です。 今年、西暦2021年(令和3年)は、「太平洋戦争」の終戦を迎えてから76年目です。 76年間、日本国は「終戦」から「戦争」を一切行っておらず、戦争を行わずにいたからこそ、経済的にも「高度成長時代」は守られてきました。この平和な時代にて「東京」「大阪」も焼け野原にならずに済みました。 「戦争放棄」を日本国憲法で制定されて、せめて「国防」のための「自衛隊:自衛権」の設置に留まった。 「あるがままに」、見つめて、見守って行かれれば「なるようになる」ものです。仮に「日本」が戦争に負けたから、”やり返し”として「戦争」を行った場合、どうなっていたでしょう? おそらく「東京」「大阪」も、今頃「中東」のように「がれき化したビル」が建ってるだけの「ゴーストシティー」になってるはずです! 「あるがままに」見つめて行かれれば、「真実」が見えて来ます。 この「あるがままに」物事の流れを見つめるという思想が、2500年前にお釈迦様が「大悟:大いなる悟り」を得られる前段階にあった、「中道の悟り:中道の意識」なのです! 「瞑想法」では「マインドフルネス」と呼ばれ、物事、森羅万象を「あるがままに」見つめて、一切の「審判:ジャッジ」を行わず、「心」で誰も裁かずに、「自己批判・自己否定」も行わず、何にも片寄らない意識です。 「中立」も、同義語になると思いますが、「中立:Neutral」は「どちらにも片寄らない」で、善悪の審判から離れて、誰も裁くことなく「あるがままに」見つめます。 「中道の悟り:中道の意識」は、2500年前、お釈迦様が妻子を宮殿に遺されて、29歳でご出家されて「苦行」を6年間行われ、35歳の時に「苦行で悟りは開けない」とお気付きになられ、「怠惰な暮らしが体に良くないのと同じように、自分の体を傷めつけることも良くないのだ」と、「中道の悟り」を開かれて、そこから「瞑想行」一本に変えられ、一年後の36歳の時に「大悟」を獲得されました! 「中道」→「大悟」→「中道」 中道の意識「あるがままに」物事を見つめて生きることは、「人生の基本」であり、それゆえに「大悟」に到達されますが、「悟り」を開かれた後は、また「中道」に戻られて、「永遠の真理」を人々に説いて行かれます。 例えば「悟りの真理」を人々に説いても、「はい、分かりました」と素直に聞いてくれる人間ばかりではないわけです。中には「罵る者・殴りかかる者」等がいたわけです。でも「仏陀:目覚めたる者」は、人間の負の感情(恨み・憎しみ・嫉妬・ねたみ)から、解放された存在であり、何をされたからと言って恨んだり憎んだりしないわけです! そこは「心」で誰も裁かずに、さらに「慈悲の心」を胸に、人々に「道」を説いて行かれたわけです。「中道」から「悟り」、そして「悟り」を開いた後も「中道」に生きられて、教えを広めて行かれました。 悟っても悟っていなくても、「中道の意識」で「あるがままに」生きることは人生の基本です! 「修羅の道」という地獄世界がありますが、これは「やられたらやり返す」が延々と繰り返されてる世界で、「ゆるす心:やられてもやり返さない」を知らない人々の世界です。 逆に「慈悲の道」という世界があって、これは「やられてもやり返さない」世界で、「ゆるす心:慈悲心」をご理解されてる方々の世界です。 勿論、生前から「ゆるす心:慈悲心」に目覚められて、「修羅の道」に生きなかった方々は、死後、地獄の「修羅界」に暮らされることはありません! 「いがみ合い」を避けて、”ゆるし合える道”を探してゆかれます。 本質的「霊的」に、人間は穏やかに生きたいと願う生き物であり、その「和解の知恵」を持ってるはずなのですが、「余計な諸問題:ごたごた」を好むというのは、やはり、”何かがおかしくなってる”わけです。 「動物霊」が憑りついている場合もあります。また「動物霊」が何かを訴えている場合もあります。 大体は「動物を叩き殺した」とか、「お稲荷さんの社を勝手に動かした」とか、現因があるもので「無慈悲な心」に、その様な「災難」は降りかかります。 「何事にも動じない心」とは「あるがままに」見つめて生きることで、この意識は「雲の上」にある「彼岸世界:霊界・天上界」の人々(光人)と同じ意識です! 「心」で誰も裁かない。 「どちらにも片寄らない」、「我無し:無我の境地」です。 また「雲の上」は「慈悲の世界」であり、温かな心のままに暮らされております。勿論、慈悲心に溢れており「悪人」はおりません!無慈悲な人間もおりません。 人間本来の意識レベル、それが、中道の意識であり「あるがままに」生きると言うことなのです。 以上です。 ありがとうございました。