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大和や武蔵みたいな戦艦の時代から航空機と空母の時代に転換しているということは大日本帝国は知っていましたよね。

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大和型3番艦の信濃はそうやって空母に改造されました ただ、これは船体まで建造中であったから比較的早くできたのであって、主砲や艦橋、煙突などの上部構造物まで完成している場合は時間がかかります。 それがなかった信濃ですら、空母化改造が1942年夏頃に決定して図面を引いて、予定完成期は1945年2月。突貫工事を行っても1944年11月の時点では未完成でしたので、撤去工事を必要とする大和武蔵では大戦には間に合いません しかも上部構造だけ取っ払っても、格納庫用のスペースがないので信濃は6万t超の巨艦でありながら、搭載数は2万tクラスの空母にも届かず、速度燃費も他の空母に追随できないので完成していても使い道は限定されることが予想されました 赤城や加賀は戦前20年も前に建造中だった戦艦を空母に改装したもので、十分な期間と試行錯誤が許されたから正規空母として通用する性能まで至ったのです

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出来なくはないが工期と工数がかかりすぎて戦争中にはとても無理だった。 当時の日本には大和型戦艦を改装できるようなドックは2ヶ所しかありません。 一か所は既に信濃で埋まっています(ただし開戦にともない建造中止)。 残りは1ヶ所ですが、これを埋めてしまうと今度は現役艦の修理ができなくなります。 また、すでに完成している戦艦から砲塔や上部構造物を取り払って空母に改装するには莫大な工数がかかります。 イギリスが大型巡洋艦のフューリアスを空母に改装した時は平時で3年かかりました。 戦争中にそんな余裕はありません。 それでもミッドウェー海戦の後で喪失した4空母の穴埋めに古すぎるとして却下された金剛型ともったいないとして外された大和型以外の戦艦は空母改装が検討されました。 しかし、前述の通り工期がかかりすぎるとして改装が決定した伊勢型は中途半端な航空戦艦として後部を飛行甲板にする工事だけが行われました。 そして建造中止になって放置されていた信濃は船体が完成していたこともあって空母への改装が決定します。 結果としては伊勢型は航空機運用には役立たず、信濃は戦争に間に合わなかったことを考えると大和型を戦争中に空母へ改装するというのはやはり無理だったという結論になります。 そんなことをするくらいなら史実でもやったように中型空母の雲龍型を1隻でも多く建造した方がマシでしょう。

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戦艦は戦艦同士が巨砲を撃ち合って勝敗を決するという目的のために設計されています。だから砲弾や魚雷が命中しても撃沈されないように分厚い鉄板で建造されています。重い。騎兵で言えば重騎兵のようなもので、その分機動性や積載性は犠牲になっています。 空母は互いに離れたところから艦載機を飛ばせて戦うという設計です。防御は戦艦の巨砲の砲撃に耐えることは不要です。戦艦がそんな近距離まで来るということはありません。勝っていれば敵艦は近寄れないし、負けるときには敵の軍艦の前に敵の航空機部隊が飛んできて猛攻撃を受けます。 むしろ船体は軽くして積載量と機動性を伸ばす方が有利。騎兵で言えば軽騎兵です。 戦艦を空母に改造するということは、お相撲さんが百メートル走や棒高跳びに出場種目を鞍替えするようなものですから、あまり有利とは言えないと思います。

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建造してしまってからでもできますよ。じっさいミッドウェー海戦後に、大和型ではありませんが検討されています。 そんなことするくらいなら同じくらいの全長の空母を1から建造したほうがコストパフォーマンスいいんですが。

信濃の搭載数が一見少なく見えるのは搭載スペースが少ないというだけの問題ではありません。烈風はもともと十四試艦戦で、間に合っていれば艦攻並の翼幅ですし、間に合った天山や彗星、あるいは流星は九七式艦上攻撃機や九九式艦上爆撃機よりやはり大型なので搭載スペースがあっても搭載数は減ります。