創価学会の反戦平和思想の源流は牧口常三郎にありますか?牧口は宗教的信念に基づいて神札を拒否し、投獄され獄死したのであって、日本の対外的な国策に異を唱えた形跡はありませんが、いかがでしょうか?

宗教 | 日本史346閲覧

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ありがとうございます。全面的に同意します。 牧口の残した言葉の断片から浮かび上がって来るのは、「反戦の士」ではなく、むしろ「憂国の士」のイメージです。 吉田松陰と重なるのも同感です。ともに同時代人からは理解しがたいほどの強烈な信念を示し、獄中で散りました。 牧口のイメージ転換が図られたのが1970年で、そこに何らかの作為があったと考えております。いろんな人の意見を聞きたいと思います。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

今回はBAの方の独自の視点、その他複数の方々からは貴重な資料の提供も頂き、本当に勉強になりました。選ぶのに苦労しました。また、ずっと下までスクロールすると、学会員の方との超ロング討論もあります。学会の指導的立場にして、日蓮の御文をはじめとする教学の知識はまさに博覧強記、信仰に悩む人たちの現場感覚にも優れた、人間力にも長けた方です。そのような人がどんな歴史観を持っているか、興味のある方はご覧下さい。

お礼日時:6/24 2:22

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『昭和特高弾圧史』は公平な視点で歴史を振り返り、当局の取り締まりの対象とされた宗教団体を次の三通りに分類しました。 ・反戦・反軍的思想の主張およびその実行と認められるもの 「日本燈台社」「無教会派クリスチャン」 ・私有財産制の否定に通じるとされたもの 「日本基督教学生運動研究会」「新興仏教青年同盟」 ・天皇の神格否定や神宮・神社参拝の拒否・神棚設置に対する反対など 「大本教」「天理本道」【創価教育学会】など多数(細かいものまで含めると、宗教事犯としてはもっとも多数を占めている) この『昭和特高弾圧史』に、牧口常三郎に対する尋問調書抜粋(P158~)が収められていました。以下に抄録します。 → 本門の戒壇と言ふのは、久遠の大昔から変り無しに続いて居る道徳の結晶とも言ふべき本円戒を伝へ授くる儀式の場所であります。広宣流布の時の戒壇堂であります。宗門では富士山麓の大石寺に戒壇堂を建て、一大仏教都を建設しようと言ふのが宗祖の願望であり、又私達の願望でもあるのです。 此の時には国の政治、経済其他総てが妙法蓮華の真理に依って行はれる事になります。其の真理は其時の正統の法主から直々に陛下に口伝されて施政される事になりますから、真実の法華経の社会国家が具顕するのであります。之が宗門の願望であり又私達の願望であり理想とする国家社会であります。 現在の日支事変や大東亜戦争にしても其の原因は矢張り謗法国である処から起きて居ると思ひます。故に上は陛下より下は国民に至るまで総てが久遠の本仏たる曼荼羅に帰依し、(略)此の時が初めて王法が仏法に冥し仏法が王法に合し、王臣共に本門の三大秘法を持する王仏冥合の時でありまして、正義道徳の最大最高を理想とする日本帝国も法華経も不二一体のものと信じて居ります。 ← 牧口がめざしていたもの、理想とする社会は、国家法華経(仮称)の実現でした。 傍から見れば、国家神道が国家法華経になっただけです。 国家法華経になれば平和な世の中になるのでしょうか?日蓮の思想を彷彿とさせるものです。 牧口も田中智学の影響を受けていたことが知られています。 大谷栄一著『日蓮主義とは何だったのか』(講談社)より抜粋 → 田中智学の国立戒壇論が戦前の創価学会に継承されたのである。 {略} 牧口は昭和三年、57歳の時に日蓮正宗に入信し、戸田も続けて入信している。牧口は大正5年ごろ、鶯谷の国柱会を訪れ、智学の講演を何度か耳にしている。牧口もまた、「日蓮主義の流行」のなかで智学の謦咳に接したのである。(後略) ← 戦後、戸田は牧口の遺志を継ぎましたが、天皇の帰依ではなく、民衆帰依による国立戒壇の建立というふうに修正を施しました。 創価学会は国柱会とは対立していたものの、両者には通底するものがあります。 日蓮系諸団体が政治的行動を起こすにあたって、その精神的支柱となったものが「立正安国論」でした。それは国柱会などの戦前の団体だけでなく、戦後に創価学会が公明党を創設して政界に乗り出す際にも、論理のバックボーンとして提供しました。 しかし立正安国論は、御成敗式目の「悪口の咎」が適用された書です。 第五段にこんな言葉が出てきます。 『辛きを蓼葉に習ひ、臭きを溷厠に忘る』 法然の悪口を言われて立ち去ろうする客に、主人が発した言葉です。タデの葉を食べつければ辛さの味覚を失い、便所に入っていれば臭気を忘れてしまうように、あなたは念仏を長く信じたせいでそのインチキがわからなくなっていると忠告する主人(=日蓮) 第七段、第八段においては、殺害を示唆する文言が見られます。 客が主人に、あなたは災難の根源が法然の選択集にあることをしきりに主張しておられるが、(その通りであるとして)災いを消し難を止めるすべをご存知であればぜひともお聞かせ願いたいものだ。 これに対して主人(日蓮)、経文をあげていささか思うところを述べるという長いくだりにおいて、 「邪宗の坊主を殺害しても、罪にはならない」とか、「正法を護るために、武器を持つべきだ」という経文を、これでもかというほど引用するわけです。 (真意は兵糧攻めのようですが、これとて殺人教唆であることには変わらない) この立正安国論のどこが平和思想なのでしょう? 日蓮に好意的な末木文美士氏でさえ、次のように述べています。 『日蓮入門』より、 → 法然の選択思想が邪見の最たるもので、それがはびこるために災害が起るのだ、と言われて、ただちに我々は納得できるだろうか。よほどこちこちの日蓮信者ならばともかく、そうでなければ、ち ょ っ と 頭 を ひ ね る の ではなかろうか。<略>むしろ、立正安国論を読んで、「これこそ正しい」と考え、直ちに念仏弾圧に乗り出す政治家がいたとしたら、その方がよほど危険であり、政治家として失格であろう。 ←

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ありがとうございます。勉強になりました。 牧口の強烈な宗教的信念が公的な記録にも残っているんですね。 また、立正安国論が平和思想とは言えないこともよくわかりました。

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日蓮大聖人の仏法は立正安国論にあるように、他国侵逼難(多国が攻め入ってくる難、自界叛逆の難(内乱、同士討ち)の予見をし、幕府政府に警鐘を鳴らした。これは両方とも戦をあらわしており、日蓮の思想が反戦なのです。反戦の源流は日蓮、御本尊です。 創価教育学会は詳しいことはわかりませんが、法華講を飛び出し組織した教員信者組織、警察が目を光らせる理由、集会を開く、法話に名を借りた反戦集会ではと、マークはされていた。憲兵隊か特高警察なのか、神札を拒否したから逮捕拘留、天照大神を守り神とはけしからん?不敬罪だ。これには裏がある本地垂迹論と神本仏迹論、とがあり、軍部は天照大神を守り神とすることを良しとしなかった、そこへ大石寺側の老僧、小笠原慈聞が神本仏迹を 唱え不敬罪で大石寺を告発していたのです。神が仏教より優れているという「神本仏迹(反本地垂迹)これに反発したという事です。敗戦濃厚になったこの時期、胡散臭いやつは捕まえておこうというわけです。不敬罪は今風に言えば逮捕理由です。日本の太平洋戦争の諸々の史料にないであろうお話で す。人間革命にも書かれていますが伝聞で、それをそのまま小説は書けない、詩と真実、というわけです。御書たりえない理由もここにあるのかも。 、

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あかしろ様など、若い世代の創価学会員の方は、 戦争前から戦争中にかけて牧口氏が当時の紙上に発表した、 これらの発言はご存知ないのだと思います。 「若(も)し日本をして英国や独逸(ドイツ)或(あるい)は 丁抹(デンマーク)和蘭(オランダ)等の如く、 近隣に直接に強圧力を以(もっ)て居る強国があったならば、 平常大なる力を其(その)方面に向けて防御に努めなければならぬし、 若し又我国が周囲に斯(かか)る恐るべき強敵が無くして、 却(かえっ)て日本を恐れる処の弱い国家があるならば、 又其れ相応に力を用ひなければならぬ。」 (大正5年「地理教授の方法及内容の研究」 『牧口常三郎全集』第4巻273頁より) 「最近、文部省が軍事訓練を課したるは、近ごろの大出来である。 ……何という、今の非常国家に適切の忠告であろう」 (牧口常三郎「『光瑞縦横談』と教育・宗教革命」昭和11年より) →軍事教練の義務化を賞賛する発言になっています。 「戦場に於ては悉(ことごと)く大善生活法の実践であり、 それに依ってのみ勝利が得られ、是が無くしては必ず惨敗をするのである。(昭和16.10.20「価値創造」第3号 『牧口常三郎全集』第10巻18頁より) 「国法にはどんなにでも服従すると言ふのだから心配はいらない。」 (牧口常三郎「獄中書簡」昭和19年3月16日 『牧口常三郎全集』第10巻288頁より) 「御上(おかみ)の事は何んでも従ふ事で検事様との間は和やか。」 (牧口常三郎「獄中書簡」S19.3.27『牧口常三郎全集』第10巻405頁より) これらの発言から、 牧口氏の思想としては戦争に勝つ事によって 日本を救う事を目指したのだと感じます。

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すごいです。入信前の発言まであったのですね。研究者みたいですね。 いったい何の目的で牧口の意志をねじ曲げたのか。そこが本当に知りたいです。 自らを日蓮になぞらえて「今こそ国家諫暁の秋ではないか」と言った牧口の思いが偲ばれます。

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こんにちは。 牧口先生はそもそも国政・国策に関しては口を出していないと思います。神札の拒否は宗教的信念に基づきます。 牧口先生が戦争を賛成していたというのも間違いです。 戸田先生も然り。 池田先生が戦争反対と言っている事に対し、牧口・戸田の投獄を利用したとするのも間違いです。 創価学会の反戦平和思想の源流は日蓮大聖人の論文「立正安国論」にあります。

「立正安国論」が反戦平和思想だというのは初耳ですが、それは措きます。 戦前・戦中の日本人の大半は、日本の正義を信じ、日本の勝利を願っていました。牧口もその例外ではなかったと思います。 牧口の行動は政治的ではないとおっしゃいますが、1970年の創立記念日の聖教新聞の一面大見出しに「貫いた戦う平和主義」と掲げて、牧口の連載をスタートさせているんです。 牧口が平和主義を貫いたと言える根拠はありますか?

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牧口氏は体制翼賛運動にも参加していた軍国青年でしたよ。 ただし、法華経主義者だったので国家神道を基本とする政府からは最終的には睨まれました。 当時の法華経主義者は、軍事力を用いて領土を獲得し布教する、そして法華経に基づく王道楽土を建設するというような考え方をしていました。

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ありがとうございます。 当時の牧口は既に「青年」ではなかったと思いますが、日蓮主義者としてはご多分に漏れず、ですよね。宗教の誤りを正せば戦争に勝てると信じていたのだと思います。 牧口が平和主義者にされたのは1970年のようです。学会の路線転換に利用されたのでしょう。