俳句をよみました

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いつも回答していただき、ありがとうございます(^ー^) 「ひまわり」だと花に注目されちゃうかなと思い、茎を入れたのですが なるほど「高く」で茎だとわかるわけですね 空いた3音それはそれで悩ましいですね 入道雲は確かに客観的に見るとわからないですね 自分の中で「こういうこと」というのがあっても、それが伝わるわけではない から皆さんに意見を聞いてみたいんですよね(^ー^) ホントに綿菓子を少し固めた感じに見えたのと、立体感や実体感が目の前にある(ちょうど手に持った綿菓子くらいの)ように見えたのです

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二つとも何が言いたいのかわかりません。 ひまわりの茎が、空中に浮遊しているということですか? 雲の峰という季語がありますし、「綿飴のごとき」等喩えですよというのを、言う必要があります。

回答ありがとうございます ひまわりの茎が空中浮遊しているのは、それはそれでサイケな情景で面白いかもしれませんw これについて少し考えたのですが 季語っていうのは、詠む人と読む人の共有する色々な意味を持たされているものですよね 【春風】なら「暖かい」「穏やか」「春」 【浴衣】なら「着ている」「夏」とかですね このようにして少ない文字数で情景をよむのが俳句なのかなとは思います 情景をどこまで説明するのか、このバランスが難しいのですが 「ひまわりの茎」が「高い」場合はどうなのでしょう? 茎が高いなら、背の高さであるという意味が含まれるのか それとも「ひまわりの背が高く」とよまないと伝わらないのか 難しいところですね

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ひまわりの 茎は支えもなく 高く --------------- ☞茎は根で支えられてます。花は茎に支えられてますので。。 なんか茎だけ伸びていく怖い印象。。 綿菓子を 少し固めた 入道雲 ---------------- ☞綿菓子固めると砂糖に戻ってしまったり。 湿気すぐに吸っちゃうんですよ。 夜店のベスト5に入りますよねきっと。 手がベトベトになったりねw。 「にゅうどうぐも」は6音で上下句に配置するのはバランス悪いと思いました。 この俳句では、入道雲を見て綿菓子っぽいなと わりと定番の印象のみ。 綿菓子を固めるとほんと小さくなっちゃうんです。 ここでの入道雲は小さい感じとなり 季語として迫力に欠けるように思いました。 入道雲なら迫力が欲しいでしょうか。。 また綿菓子ならば、はしゃいで食べて食レポでなんぼでしょうw。 からの、、、 綿あめを霞の如くかぶりつく (霞:春季語かぁ。) 綿あめを買ってくれろと泣く子かなww (無季語でパクリw) 綿あめと入道雲を重ねおり (あ、、いい感じだけどどこかで聞いたフレーズな気が。。。) --すぷ雷人--

いつも回答していただき 嬉しいです(^ー^) 実はひまわりの花はイメージのなかに無くてもいいかなって思っていました おっしゃる通り茎だけ長く伸びていく感じ でも怖いかなw 綿菓子は固めて食べる派です(そのまま食べると顔ベタベタになるので(T-T)) なるほど確かに「目の前に迫るような立体的な入道雲」を見てよんだはずなのに、手に持てる綿菓子に(それも固めた)見立てるのは迫力に欠けてしまいますね すごく納得します 「綿菓子」と「はしゃぐ」の組み合わせは、あるニュースのトラウマがあって、多分そっちは無理だろうな・・・orz 綿あめをかぶりつく のは良いですね、顔ベタベタを気にしない、どこかしら無邪気さを感じます(^ー^)

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天高く そびえるは ひまわりの花。 入道雲 見えるは 綿菓子の飴。 お返しです。 こんなんで良いでしょうか。

回答ありがとうございます(^ー^) お返しいただきました ひまわりを足下から見上げる感じですね 高さが強調されるようです 入道雲綿菓子に見えちゃいますよね 同僚に言ったら「きみはお菓子ばっかだなw」って笑われました(>_<)

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すげーいい!! 俳句詳しくないけど、入道雲と綿菓子の違いと似ている所を上手く使えている気がする! By現国23点

回答ありがとうございます(^ー^) ちょっと固めるくらいで、ちょうど入道雲くらいの質感になるかなって思いました 似ているところと違うところといわれ、自分でなるほどと思ってしまいました