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哲学のレポートで

哲学、倫理221閲覧

回答(3件)

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〈以下のような文章ではいかがでしょうか。〉 自分は本当に存在していると言えるのでしょうか。 人間は紫外線・赤外線を見ることができません。目の前の花の色が本当はどのような色をしているのか、人間には決してわからないのです。このことは五感すべてに言えることです。ですから、人間は世界の本当の姿を知ることはできません。 このことをカントは、「人は物自体を認識できない」と言っています。カントは、人間には世界が本当に存在しているかどうかもわからないというのです。 これは、デカルトの考えを引き継いだものです。デカルトは、すべての存在を疑いました。夢を見ているのではないか、だまされているのではないかと。そして最後に「疑ってる=思う」という事実だけは間違いなく存在することに気づいたのです。それが有名な「われ思う、ゆえにわれあり」です。つまり、デカルトは「思う」=「自分」としたのです。 この「思う」を自己意識と捉えることもできます。確かに、自己意識は、主観、客観図式を超えて存在すると言えるものです。 〈この問題は「存在論」です。ハイデガーの「存在と時間」が有名ですが、そこまで広げる必要はないと思います。「自分(私)」については、永井均著「〈子ども〉のための哲学」をお薦めします。〉

なるほど、そのような書き方もありますね。 もし、ここに字数制限として2,000字から3,200字程度(少なくても多くてもよい)としたら、なにを付け足した方がいいとおもいますか?

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2021/7/22 10:50

自己意識はあらゆる存在を対象化する前提である。自己意識がなければ自分の存在を考える(対象化する)こともない。自己意識はあらゆる存在を対象化する「前提」であるため、自己意識そのものを対象化することはできない。対象化できたら「前提」ではなくなるからである。また、自己意識とは自分の存在の一面であるから、なぜ自分が存在しているのかということを考えることはできるが、明らかにすることはできない。