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2021/7/27 7:30

55回答

なぜ怪物江川は慶応大学に落ちてしまったのでしょうか?なぜ慶応大学は江川を落としたのですか?

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その他の回答(4件)

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なぜ落ちた? →点が足りなかった。 なぜ落とした? →大人の事情があった。 推薦が無かったとの回答が多いけど… 『運動部枠』などを含めた 『◯◯枠入学』はあります。 通常なら XX点が加点されて合格なんだけど まぁ色々な事情があって あの年の運動部枠受験生には 加点されなくて 殆どの人が落とされただけです。

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慶應からは「合格は確約するから他の大学は絶対に受けるな」ということだったそうです。 普通の受験生なら1校1学部しか受けない、なんてことはありえないので、そのはずだったのでしょう。 それでも提示された合格点を目指して相当勉強したそうだし、その点数は超えてたそうです。 あの年の慶應は有望な野球選手の多くにそのように声をかけ、慶應主催の勉強会を開いてずっと囲い込んでたのにほぼ全て不合格にしました。 で、江川をはじめ不合格者たちが慌てて法政の2部に願書を出して受験したので法政がとんでもないオールスターチームに。 慶應は「推薦なんてない。学力がなければ江川だって落とす。」みたいな変なプライドのために見せしめに落としたのでしょう。 たまに大物選手を落としますので。 そのくせ芸能人や有名プロスポーツ選手の子息は喜んで入学させますけど。

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このころは野球推薦などはなく、どれだけ有望な高校球児でも 一般受験して高得点を取らないと大学に入学できませんでした。 (あの岡田彰布も、早稲田大学に入るために家庭教師をつけて 猛勉強した、と述懐してます) 以下、Wikipediaより引用 江川は阪急の1位指名を蹴り、慶應義塾大学1校に進路を絞って受験したが、不合格となった。慶應大学不合格はこの日のNHKなど各テレビ局の昼のニュースのトップで報じるなど大きな話題となった。一高校生の大学受験結果がテレビのトップニュースになることは極めて異例のことである。慶應大学以外を併願受験していなかった江川はその後、法政大学法学部第二部法律学科を受験し、合格した(のちに一部へ転籍)。江川は慶應大学不合格について、「日本史で、過去の出題傾向から明治以降を完全に捨ててかかったら、その年に限って近代史の問題が多く出題された」と分析している。 一方で、この当時、私立大学不正入学問題(1968年・早稲田大学政経学部、南山大学、1971年・愛知医科大学、1973年・福岡歯科大学、さらに江川より後になるが1976年・慶應大学商学部、1977年・中央大学商学部、1978年・松本歯科大学、さらには自殺者まで出した1980年・早稲田大学商学部など)が立て続けに明らかになった。こうした私立大学入学に関する時代背景から世間やマスコミの中には少なからず疑心暗鬼の空気があった。ここで慶應大学1校に絞っていた江川を入学させると、江川と慶應大学との間に裏取引があったのではと疑われる可能性があることから、「例年なら野球部セレクションによる加点があるが、この年に限って加点が行われなかった」という説がある。実際、この年の慶應大学は、慶應大学進学を強く熱望した堀場秀孝(一浪後慶大→プリンスホテル→広島)、中尾孝義(一浪後専大→プリンスホテル→中日)などの有力選手も相次いで異例の不合格としている。