戦争の上手い人種は、アメリカ人になるのでしょうか? また、イギリスも? ドイツは凝り性で柔軟性の欠ける。 日本人は場当たり的?

国際情勢 | 世界史48閲覧

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もし同じ武器や兵器を持っていたとしたら、どこの国の兵士が一番強いかというと、軍事評論家が言うには、中国兵だそうである。彼らは、死ぬ事を何とも思っていない由。逆に一番弱いのは、アメリカ兵だそうである。彼らは何かあると、すぐに逃げるそうだ。只、アメリカ兵の中には、日本の軍艦を目掛けて、これ以上低く飛ぶと、対空機銃や高角砲に撃墜されるという位、低空を飛んだ雷撃機が居り、案の定その機は撃墜されたが、その雷撃機の放った魚雷は、見事、日本の軍艦に命中した。どこの国でも、軍人になるような人は、命知らずの者が、数多く居るのである。事実、昭和十七年六月六日朝、ミッドウェー海戦の折り、米海兵隊航空部隊のSB2Uビンディケーター一機が対空砲火により被弾後、日本海軍重巡洋艦三隈の後部砲塔に体当たりした。体当たりをしたのは、リチャード・E・フレミング大尉機である。 平成二十四年六月十九日付き『朝日新聞』「声」欄より引用する。 熊本県 黒木新二郎 (執筆時)91歳 無職 『私が乗った重巡洋艦足柄は昭和十九年十二月二十六日、レイテ沖海戦後も残っていた南西方面艦隊の七隻と、フィリピン・ミンドロ島サンホセの米艦隊泊地に夜間決死の強襲をかけた。想定通り、敵機多数の反復攻撃を受け、激しい対空戦が繰り広げられた。混戦の中、被弾した敵の一機が足柄の左舷中央に突っ込み、激しい火災が起きた。この戦闘で数十人の死者を出した。 翌日、戦死者の水葬が行われた。水葬の儀式は、遺体を軍艦旗もしくは毛布に包み、浮上防止の重しをつけて、舷外に設けられた滑り板から海に沈めるのが習いだった。その日夕、一人ごとに氏名・階級を声高く呼び上げ、儀仗隊が弔銃を発射、ラッパ隊が葬送曲「海ゆかば」を吹奏し、乗組員全員が挙手の敬礼をする中、荘厳に行われた。自分も最期が来たらこうしてほしい、と願ったものだ。 その水葬の最後の一人が、艦に飛び込んだ敵機のパイロットであった。氏名などむろん不詳。黒こげの上半身だけになっていた。だが、彼の祖国にとっては忠勇の軍人である。既に敗戦の色濃い状況であったが、足柄では確かに同胞の戦死者と同様、敵兵を丁重に弔ったのである。』 元日本兵による、次の様な証言も有る。 平成二十七年八月十八日付き『読売新聞』より引用する。 竹花巧 (執筆時)95歳 無職 『陸軍では「外国人は士気、精神性は日本人より劣る」という教育を受けた。だが、英軍の抵抗は激しかった。ある日、朝から夕方まで続いた戦闘の終結後に「ボーン、ボーン」という大きな音が聞こえた。負傷し逃げ遅れた英兵が手榴弾で自決した音だった。アングロサクソンも骨太というか、たいした民族なのだと思った。』 「昭和の遺言 十五年戦争 」仙田実著 『日中戦争は、国内ではわきかえるような雰囲気ではじまった。岡山の歩兵第一○連隊も動員され、猛将赤柴八重蔵大佐に率いられて大陸へ渡った。当時「鬼の赤柴部隊」の異名をとったが、現役兵のほか、予備役となっていた満州事変の実戦経験者をおおぜい招集して編成したので、日本陸軍中の最精鋭とうたわれるだけの理由はあった。 赤柴部隊は、昭和十二年の開戦と同時に出動した。同年八月に神戸を出港し、華北の渤海(ぼーはい)湾の大沽(たーくー)に上陸した。 赤柴部隊は大沽(たーくー)から津浦(ちんぷー)線に向けて西進したが、その年は六○年ぶりの大雨で、洪水とぬかるみが続き、一日四キロほどしか進めない、一○日目にしてようやく天津(てぃえんちん)にたどりつき、津浦(ちんぷー)線に沿って南下したが、中国軍は黄河(ほあんほー)をはじめあらゆる川の土手を切って、広野全面水浸しの妨害作戦に出た。 そのため日本軍は、鉄道の線路や川の堤の上を、一列になって進む以外に方法がなかった。 昼は休み、夜間に行軍したが、集中射撃をあびて大勢の死傷者が出た。 静海県(じんはいしぃぇん)の遭遇戦では、次の様な戦闘が展開した。 見渡す限り高粱の畑が続き、これが弾丸でなぎ倒され、立っていては撃たれてしまう。 昼間は水浸しの畑の中に屈み、首だけ水面に出して夜を待つ。夜の間だけ行軍して、次第に静海県(じんはいしぃぇん)城に近づく。これが七日間続いた。もちろん衣服は泥水に濡れたままである。 ついに突撃決死隊が指名され、夜明けを期して銃剣をかざして城内におどりこむ。もし相手が逃げなければ、白兵戦となる。中国兵にも決死隊がいたらしく、両足に鉄の鎖を巻きつけていて動かず、攻めてくる日本軍を最後まで撃ちまくり、突っ込んだ日本兵の銃剣にかかって死ぬというありさまであった。』 日本政府広報誌「週報」昭和二十年三月十日付号外には、『「皮を斬らせて肉を斬り、肉を斬らせて骨を斬る」が如き不徹底なる戦法は潔くこれを一擲(いってき)し、「必死必殺」の相討ち戦法に出たならば、婦女子と雖(いえど)も米鬼一敵の必殺は断じて不可能ではない。(中略)武器の如きは論ずるに足らず。銃器、ダイナマイト、竹槍、日本刀、出刃包丁、剃刀(かみそり)、ハンマー、鋤(すき)、鍬(くわ)、石塊(いしくれ)。(中略)敵に一千万の特別攻撃隊員なく、我に一億の特別攻撃隊員あり』とヒステリックに書かれている。日本には大和魂があったが、ドイツにはゲルマン魂が、イギリスにはジョンブル魂が有り、アメリカには開拓者魂があった。 又、昭和十九年、聯合艦隊参謀副長だった小林謙五海軍少将は、こう洩らしたという。小林海軍少将は、米国駐在武官を勤めるなど、米国の事情に詳しかった。「この戦争ももうだめだね。米国人は命をかけた戦争には弱いが、体力を競うスポーツには強い。この戦争は米国にとって、もう戦争ではなくスポーツになってきた。」と。

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歴史的に戦争が強いのはイギリス、アメリカ、日本と海洋国家が多いです。 まぁ、イタリアとか海洋寄りの半島国家は弱かったりしますが。 ドイツ、中国とかは弱いですね。 *日本は第二次世界大戦では負けましたが対外戦争では他は目立った負けはないんですよね。