回答受付が終了しました

旧軍の戦闘機について「紫電改と疾風はどちらが優秀か」 という議論の中で、「疾風はムスタングを何機も墜としているが、紫電改は対ムスタングの撃墜はゼロ」という説があります。 これは本当でしょうか。

補足

スミソニアンに紫電改がいるとか疾風がいないとか、関係ないでしょう。 質問したことに回答してください。

回答(14件)

0

優秀といえば疾風でしょうけど、紫電改は有名な343空というベテランパイロットの部隊がありましたから知名度は紫電改のほうが高いでしょうね。

1

まあ確かに私も紫電改がP-51を撃墜したという話は知りません。 雷電ならば、厚木の航空隊のエース、 「赤松貞明」 が、雷電2機編隊でP-51を一方的に2機撃墜したのが有名です。 また紫電改の三四三航空隊の主戦場は、ほとんど南九州、鹿児島県周辺であり、つまり 「沖縄戦」 でした。 三四三航空隊は、初陣こそ愛媛の松山や、呉でしたが、その後はすぐに鹿児島県に移動し、沖縄戦、特攻機の援護に回っていたのです。 P-51が進出したのは硫黄島ですが、作戦エリアになったのは関東や中部であり、沖縄戦ではなく、そもそも本土防空戦ではP-51はそんなに活躍していません。 本土爆撃を指揮するカーチス・ルメイ将軍は、P-51の援護は要らないと断言し、実際に東京大空襲でもP-51の援護はありません。夜間低空爆撃を中心に考えていたのです。 実際には硫黄島のP-51はいらないと言われた、非常に浮いた存在となっていたのです。 しかし何もしないと馬鹿にされるので、護衛関係なく、単独で機銃掃射をするために出撃し、雷電や、五式戦に撃墜されましたが、紫電改は南九州にいました。 また終戦直前には、日本戦闘機は本土決戦のために温存され、迎撃するにしても、優先目標は爆撃機であったのです。 厚木の航空隊は陸軍の指揮下にありましたが、三四三航空隊の主敵はあくまでアメリカ空母とされたのです。 しかしそれを差し置いても、硫黄島のP-51の出撃回数は、思った以上に少ないものであり、これは往復途中の航法ミスで、P-51が何十機も墜落したからです。 あとは今さら機銃掃射などしなくていいという意見も強かったのです。特にカーチス・ルメイ将軍はP-51を徹底的に邪魔物扱いしていました。 また四式戦闘機「疾風」は、中国戦線で飛行第85戦隊の若松幸禧(わかまつ ゆきよし 1911年(明治44年)- 1944年(昭和19年)12月18日)は、大日本帝国陸軍の軍人。戦闘機操縦者。最終階級は中佐。鹿児島県薩摩郡高江村(現在の薩摩川内市)出身。通り名・異名は「赤鼻のエース」)が、ムスタン 二式単座戦闘機「鍾馗」と四式戦闘機「疾風」乗りのエース・パイロット。二等兵として入営し、下士官から少尉候補者を経て少佐にまでのぼりつめた。冴えた空戦技術と円熟した優れた人格を持ち合わせた理想的な戦闘隊指揮官であった。 その活躍から敵の中華民国重慶政府より若松の首に賞金が懸けられ(当初は2万元、のち5万元に増額)、また、若松の所属する飛行第85戦隊第2中隊機のスピナーと垂直尾翼前縁(部隊マーク)に塗られた中隊色の赤色から、若松は在中国米空軍(在支米空軍)や友軍より「赤鼻(RedNose)のエース」、「赤ダルマ隊長」として存在が広く知られていた。 撃墜機数は18機以上と伝えられる。大戦後期の日本軍劣勢下での戦果で、そのすべてが戦闘機である。そのうち約半数は第二次世界大戦最優秀戦闘機ともいわれるP-51マスタング(マーリンエンジン搭載型のB/C型)が占める。若松自身はP-51について、B型を初撃墜した日の日記で「赤子の手をねじるがごとし」と記録している。 1944年(昭和19年)9月22日に戦隊は新鋭機の四式戦「疾風」に一部機種改編。若松はこの「疾風」を「スピード、上昇力、旋回性、航続距離、全てにおいて二単(鍾馗)よりいい」「無線機もすっかり改良された」と高評価している。10月4日、「疾風」「鍾馗」の混成隊にて哨戒飛行中に、若松自身はP-51Bを2機撃墜(若松側は被撃墜・被弾機無し)、以降P-51を始め敵戦闘機相手に敢闘する。 また飛行第50戦隊のエース、大房養次郎准尉はビルマ航空戦において、出撃回数256回、不時着4回、総撃墜機数19機(うちP-51型5機、スピットファイア1機、ハリケーン4機、P-47型2機を含む)、不確実撃破21機の戦果をあげた。大房の乗機は一式戦闘機二型、四式戦闘機一型甲で、方向舵には彼の故郷を指す「陸奥」が白字で書かれていた。と言われます。 記録としては、若松幸禧少佐は疾風を操縦して、P-51を9機くらい撃墜したと言われ、大房養次郎准尉はP-51を5機撃墜したと言われているのです。 また中国戦線では、P-51が一か月に20機くらい撃墜された時もあったと言われ、地上戦でも中国軍が連戦連敗で、P-51は桂林や衝陽からも撤退し、桂林や衝陽は日本軍に占領されてしまうのです。 P-51は疾風にあらゆる意味で完敗したのです。 中国ばかりでなく、ビルマにおいてもです。ビルマでは疾風以前に隼にも多数が撃墜されています。 それが記録から見える厳しい現実なのです。 そもそも南方の疾風はパレンバン油田のオクタン価の高いガソリンを使い、最高速度も660km/hくらい出ていたと言います。 特にパレンバン油田のガソリンを入れた南方の疾風は、紫電改よりも圧倒的に高性能であったのです。

1人がナイス!しています

0

紫電改は登場時期が遅く、艦載機との戦闘が多かったことから戦闘機の撃墜戦果はF6FやF4Uの2機種でP-47やP-51との空戦は少なく戦果はなかったようです ただ、沖縄戦で台湾の偵察隊に配備されていた紫電はP-51の撃墜戦果を挙げています

0

Wiki「P-51」 >陸軍航空審査部では同様に鹵獲していたP-40E、ドイツから輸入したフォッケウルフ Fw190A-5、三式戦闘機および四式戦と、加速力と全速力の比較を行っている。高度5000mで横一列に並んだ5機は一斉に水平全速飛行を実施。最初の数秒でトップに立ったのはFw190A-5だった。3分後にC型がこれを追い抜き、「疾風」もFw190A-5との距離を縮めた。5分後にストップをかけた時には、マスタングははるか彼方へ、次いで疾風とFw190A-5がほぼ同じ位置、その少し後に飛燕、さらに遅れてP-40Eという順だった[18]。 当時の陸軍が国内で試験したら、圧倒的にP51は速かったという現実。 P51だと700km程は出て、対して四式戦は建前は624km以上出る筈なのでしょう。 もっとも、国内にあったFw190A5は600km少々しか出なかったとWikiのFw190にある。四式戦がこの個体と同じ位置にいたなら四式戦も600kmくらいしか出なかったことになってしまう。 この速度性能から考えて四式戦で一方的にP51を落とすのは容易な話ではありません。 遭遇戦になって、ヨーイドンとなったらP51が四式戦に対して圧倒的に有利。 運よく油断したP51が低空にいて、四式戦側が高度を取っている時に遭遇しないと撃破するのは難しい。そして、そうした局面であるのなら四式戦ではなく、五式戦や二式戦でも十分ダイブして迫れたでしょう。 P51が運よく低空で地上攻撃を使用としている時にでも遭遇しないと対抗できないのであれば、正直な所で自慢できるような武勇伝にはなり難いことです。

0

アメリカの資料だと、紫電改による撃墜記録が無い様に見えます。 そもそも400機程度しか存在しないレア戦闘機(紫電改)に出会う方が奇跡だし、判別出来たか怪しいですけどね。 ただ隼でマスタング撃墜とかありますが、隼こそ最強なんてならないですよね…。 因みに、私の剣道のおじいちゃん先生は生前に、ムスタング飛んできたけど、最新鋭機が配備されたせいで温存。追撃してくれないから、働いてた工場で撃たれたけど当たらなかったそうですね。 旧式の隼でも守ってくれる方が英雄だと言っていましたね。