平家物語はあっても 源氏物語がないのはなぜでしょうか?わかります? 源頼朝主人公にした話が何故ないか?です。

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平家物語の異本に『源平盛衰記』があります 平家物語に比べて、源氏側からの描写が多くなっています また、平家物語とはいえ、平氏一辺倒ではなく、章によっては源氏の人物が主人公となっています 頼朝についても、挙兵に至る経緯や心理描写などはかなり克明です とはいえ、平家物語は滅び行くものや討たれるものによりスポットをあてるスタンスなので、頼朝は主人公にはなりえないわけです やはり、敗者側への同情の方が庶民の共感は得られやすいわけです 南北朝時代でいえば、南朝視点の『太平記』と、足利視点の『梅松論』 史実により近いのは梅松論ですが、大衆人気は圧倒的に太平記にあるわけです 勝者でも、それに至る雌伏や苦心惨憺な部分は取り上げられますが、頼朝は富士川の戦いを最後に対平氏戦の陣頭に立つことがなくなったので、影が薄くなった面はあると思います 頼朝や源氏側については鎌倉幕府正史ともいえる『吾妻鏡』がありますし(ただし北条目線ではある) 頼朝の代に限定しなければ、『保元物語』の主人公は鎮西八郎源為朝ですし、『平治物語』の主人公は鎌倉悪源太義平、さらに『後三年合戦絵詞』は八幡太郎源義家が主人公といえます

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軍記物の代表作「平家物語」。今もなお多くの人の心を揺さぶり続けています。読み本系と語り本系に大きく分かれます。内容の充実はやはり読み本系です。「平家物語」は、平家追悼・鎮魂の意味を持っていました。 この時代の物語は、朝廷や権力者など権門の協力のもとに作られていて、琵琶法師が初めから語り継いで創作したものではありません。 後の「増鏡」「太平記」等も僧侶や公家が権門の支援の下に著作しています。 プロの物語作家、戯作者が生まれるのは江戸時代初頭。版元(出版社)が京・大坂で出現してからのことです。それまでは、権門の考えのもとにそこに仕えた人々(貴族・僧侶・知識を持った一部武士)が書き表したものを転写し写本を作り、読み継ぎ広まっていきました。 平家の多くが壇ノ浦に滅び、数か月後に都で地震が起こります。にわかに平家追悼の機運が盛り上がりました。わたしは、後白河法皇の命令一下、制作が始まったのではないかと考えています。その完成はもちろん後白河法皇亡き後。 同物語の大団円は後白河法皇の大原御幸で、平家一門の追善供養に余生を過ごす安徳天皇の母建礼門院徳子との対面でのねぎらいで終わっています。 頼朝物語の類がなく、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」は、おもに北条氏周辺の意向の下に編纂されています。その分源氏の意味合いが薄められています。高らかに源氏三代を中心に描き追悼しようという機運が無かったのでしょう。これに尽きると思います。本来なら源氏三代の以前から遡り、源氏の正当性をアピールするところですが、北条氏にその意図は無かったとみるべきでしょう。 その他の理由としては、頼朝は書き手の知識層が集まる都人から遠い存在であったということです。いかに画期的な人物であっても記録や証言者がなくては、書くことができないものです。

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なるほど、偉大な人物なのに不思議ですよね。 これについては、端的に答えると「誰も書かなかったから」になってしまいます。 では、なぜ誰も書かなかったのか。 逆に言うと、なぜ平家を扱った『平家物語』や、源義経を主人公にした『義経記』は書かれたのか。 『平家物語』は仏教的な見地から、諸行無常・盛者必衰の物語として書かれました。そのため、史実とは違う出来事や明確な曲筆があります。 『義経記』は、平和の続いた室町時代に、人々の喜ぶ英雄譚として受け入れられました。 これらはどれも、「書きたい、書かねば」と思う人がいたから書かれました。 残念ながら頼朝は、そうした題材となるのに「魅力」や「必要性」がなかったものと思われます。 頼朝の物語も皆無ではなかったかもしれませんが、彼は偉大ではあっても「人口に膾炙するほどの物語の題材」にはならなかったということでしょう。 実際、栄華を誇りながらはかなく滅んでいく平家や、無類の強さを誇りながら兄との確執によって報われずに死んでいった義経の人生は、人の世と言うものの一端を表しているようで、心揺さぶられるものです。 それに対し頼朝は偉大な政治家ではありましたが、鎌倉に座したまま政治基盤を作り、実際の戦闘は弟任せで、最後はうやむやの中で死んでいきました。 凄い人なんですが、人間的にドラマチックかと言われると、平家や義経のような華々しさやはかなさは感じられないですよね。 物語作家は、「書きたいもの」を書きます。読者は「読みたいもの」を読みます。 頼朝という人の伝説は、我が国の中世の文学において、そのどちらか、あるいは両方を満たしてこなかったのでしょう。じゅうぶんな資料もなかったでしょうし。 研究の進んだ現代なら、頼朝の政治的・人間的魅力を書き表す作家が現れ、千年後には古典として評価されているかもしれません。

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源氏はその後も続いているので、粗筋が複雑で民衆受けしない。 相続争いや朝廷から将軍を読んだり北条が執権になったりで、ややこしい。 あったとしたら、義経物語くらいか。