人はなぜ一度決めたことが間違っているとわかっても、それに執着し、すぐに方向転換できないのでしょう? この心理は生存戦略上、かならずしも必要なものではないと思います。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

損失回避とサンクコスト効果(コンコルド効果)から現状維持低リスクを選びたがる、というのに納得行きました

お礼日時:9/11 21:51

その他の回答(4件)

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そいつはただの馬鹿。 賢い人は間違いであるとわかった時点で直せる。

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「わかっちゃいるけど、やめられない」「やめられないとまらないかっぱえびせん」 人間は理性では動かないから。 もっとも原始的な行動指針(感情分化)は、《快-不快》。

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間違っていることを認めることができない理由は、いろいろあると思いますが、 1番の理由は、それを選んだことによる損失を、認めたくないからではないかと思います。 パチンコに開店時から詰めかけ、1日いて、十万円すってしまったとします。 10万円手取りでもらうには、1週間かそれ以上、かかるでしょう。 それだけ働いた日数と労働が無駄になり。さらに今日1日も無駄になった事実を受け入れるのは、負けを認めることになる。 ある宗教の熱心な信者であるとします。 教えに従い、集会に参加、長年過ごしたとします。 特に勧誘をしなくても、自分が信者であるというだけで嫌われ、去っていく人もいるでしょう。 仲間にとんでもないのがいるのを見たり、役員にとんでもないのを見たりするとします。 そのうち、教理やその行動が、世間的に公に出来ないことがあるのに気付いた時、どうするでしょうか。 間違いだったと認めるには、年月が経ち過ぎて、それが原因で自分から去っていった人々に、それ見たことか!と後ろ指を指されたくない。 謝りたくない。 それまでの人生が誤りだったと認めるには、相当、腰の低い人でなければ、できないでしょう。 人は弱く、誰でも過ちを犯すものです。 人を裁いてきた人は、自分が同じ秤で裁かれることを恐れます。 しかし、人を裁かないように教えられていて、教えてくれた神を心底から信じていれば、 割と簡単に、人を許せるようになります。 人を裁く前に、自分に悪いことをしてくる人にさえ、気の毒に思うようになり、怒りがわいてこなくなるからです。 人は正しい指針が与えられなければ、 自分で正しいと思う方向、 自分が行きたい方向に行くようになります。 自分が行くべき方向がわからないと、 隣近所の人がちらほら、向かっていく方に向かいがちになります。 かつて津波が来たことのある土地に住んでいて被害に遭えば、次から津波が来るかもしれないと思ったら、安全が分かるまで、高台に行くようになるでしょう。 被害に遭った人から話を聞いた人も、そうするでしょう。 しかし、被害に遭ったことがなければ、何の情報もなく、高台に行くことはしません。 そして、気の毒にも、自分が被害者になってしまうのです。 人の道も同じこと… 被害にあってからでは遅過ぎます。

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間違っている事が明らかな場合は、考え直す事が必須だと言えますので、その場合は議論の余地なく、選択を変えるのが当たり前です。 問題は、間違っているかどうかが定かではないが、間違っているかも知れないと思える事象が生じた場合だと思います。 実際には、ほとんどの場合はこの様な程度の検討を伴う判断が必要で、前述のような明らかな間違いと言うケースは稀ですので、現実には必ず程度の判断が伴われていると考えて差し支えないかと思います。 この場合、人は今まで目標に向かって積み上げてきた努力を、実際より過大に評価する傾向があると思います。 この原因は関係はあるものの、2つの要因から分析できると考えられます。 一つは、総量の過小評価、もしくは経過量の過大評価です。 目標を成し遂げるまでに必要な努力の総量が不明な状態で、現在までの努力の経過量が10であった場合、総量を1万や2万と仮定すると、到底たどり着かないと言う絶望感から、人は努力を継続する事が難しくなってしまいます。 ですので、総量は20か30だと仮定する、もしくは経過量は既に1万を超えていると判断し、さらに多くの労力を費やさなくても、目標は達成できると考え、例えそれが間違っていても、少しずつ修正しながら努力を続けると言う思考の方が、目標を達成しやすいと言うメリットがあると考えられます。 もう一つは、今までの努力を無駄にする事に対する、合理性の問題です。 これも前述の総量の判断に対する思い込み傾向とリンクするのですが、目標の為に今まで支払って来た対価を失う事と、自分でも確実とは言えないと思っている判断を天秤に掛けた際、判断を優先する事には合理性が無いと思ってしまう傾向があります。 本来は、合理性とは利益が大きい方を優先べきですが、目の前に確実に存在する、積み上げられた努力と、まだどうなるか分からない未来に対する自己の判断とでは、例え実際には非合理的だとしても、見える物に合理性を感じる様に出来ています。 これは、それだけ人の判断には誤りが多く、見えない物を信じない思考の方が生存確率が高いのだと思います。