相模川の流路変遷について質問があります。 Wiki等を読むと、太古の流路は境川の辺りであり、徐々に流路が西側へ向かっていったとされています。

補足

流路を変えるには、相模台地はあまりにも大きな障壁だと思います。

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元は、今の鶴見川の河口が相模川の出口で、だんだん西に動いて、河口が東京湾から相模湾にシフトというから驚きですよね。 その途中で、今の境川にも流れ込んでいたと。 相模原台地は、元々の相模川の形成した扇状地が後に隆起したものだそうです。 台地は、上から「相模原面」「田名原面」「陽原(みなばら)面」と呼ばれる三段の河岸段丘を構成しているそうです。 元の河川のあった場所と扇状地が隆起した一方で、川は西に移動しつつ、どんどん削って深く河岸段丘となって、より深い位置で流れているから、相模台地が、現在の河川の位置からは、はるかに高く見えているから、ちょっと想像しにくいですよね。

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相模原あたりの土は、火山灰の多い関東ローム層ですから、 富士山の噴火で、相模川の流れがせき止められて、 川の流れが変わってしまったんじゃないですか。