数学的思考が重要なのはわかりますが、それもいきすぎると人間の感情的な所などを失ってしまわないでしょうか?例えば、数学的思考によってスピリチュアルなど根拠もない話に騙されなくなるとしたらそれは良いことで

数学 | 哲学、倫理163閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:9/29 8:01

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>数学的思考が重要なのはわかりますが、それもいきすぎると人間の感情的な所などを失ってしまわないでしょうか? 数学的思考も数学の思考も重要ではありません。で、数学の思考は感情を失ったり感情を失なわなかったりすることとはカンケーありません。 ところで「数学的思考」とはなんですか。数学的のつく言葉は数学的帰納法しか知らないので。 >あくまで「としたら」なので、それが単に成長によるものなのか数学を勉強したせいなのか僕にはわかりませんが、どちらによるものだと思いますか? 数学を学んだらそーはならないと思います。

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数学的思考と感情は排他的なものではないです。

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そんなあなたに面白い話を一つ。 まぁ、私が勝手に面白いなって感じた話なんですけどね。 あれは数学的思考が至高であると考えていた中学生の時のお話です。本で名だたる数学者たちの逸話を見ては「はえー、すっげ」とか思ってすごしてました。しかしふと気づいたのです。なんか、キリスト信者多くね…?と。当時の私からしたら「キリストなんて非科学的な話、信じる意味がわからない」でした。しかし、何故か有名な数学者はこぞってキリストを信じていたんです…。 そんなこんなで高校生になった時、その答えをYouTube?テレビ?で知りました。「あなたは死後の世界を信じますか?信じない人はプラスもマイナスもないから0。だけど死後の世界を信じる人はマイナスが多少あってもプラスは無限大であると信じてるんです。すると、死後の世界の期待値は「∞」になるんですよ」と。あぁ、なるほど。キリストを信じていたのは、死後の世界が「0」から「∞」になるからなんだ、って。 まぁなんか妙に納得してしまったので今でもその時の衝撃を覚えているわけで笑 質問者さんの「今日は何かある気がするな」というのは、数学的思考によって失われるものではないと断言できます。なぜなら、「何かある」という確率は必ず存在しており、それは数学的思考によって支配されても変動することはない、期待値は変化しないからです。 なのであなたも信じてみてください。 信じないより信じた方が期待値は高いから笑

なるほど。面白い話を聞かせていだだいてありがとうございます。 そこまでならまだいいと思いますが、そこから見えない世界がどうとか言って占いとか信じ出したら終わりだと思ってます…でも、小学生の頃は占いを信じていて、特に損した記憶もなく、むしろ信じていないときより信じているときのほうが小さな幸せに気づきやすくなるという話もわからなくもないので、搾取されないレベルで信じてもいいのかもしれませんね。ありがとうございます。

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「過ぎたるは猶及ばざるが如し」 どんなことでも度が過ぎれば悪影響があります。

ありがとうございます。しかしながら、全てを適度にというのは難しいと思うので、結局自分というピースがうまくはまる場所に、ときどき形を変えながらはまるのが良いのかもしれませんね。