万葉集の持統天皇の「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香久山」の和歌の優れているところは、どういうところに有りますか?分かりやすく、色彩豊かなところに、有りますか?

補足

「白妙の衣」を当時の喪服と考えるかどうかですが、この歌が詠まれたのが天の香久山が一望できる藤原宮だとすれば、藤原京には持統8年に遷都されており、天武天皇崩御の8年後で有り、その頃に使った喪服を干したりするのか疑問に思うのですが、当時でも下着などには白い布を使ったのではないでしょうか?歌の清々しい雰囲気からは、喪服が絡んで来る雰囲気は感じられないのではないでしょうか?どう思われますか?

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ベストアンサー

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白妙の衣が「喪服」という説について考えてみると、「春が過ぎて夏が来たらしい」と推定する根拠は何でしょうか。「喪服が乾してあるから」ということになりますね。(「けらし」は「ける+らし」の縮約形。助動詞の「らし」は根拠のあることを「推定」する意の助動詞)。喪服が乾してあるから「夏が来たらしい」とどうして推定できるのでしょうか。人の死あるいは喪に服すというのは季節を問いません。喪の期間が明けるのはいつも初夏とはかぎりません。第一、この歌の色彩鮮やかなイメージ、明るいさわやかな印象に対して「喪服」とはマッチしませんね。田植えは初夏に行われます。天皇の一番大事なお仕事は「五穀豊穣を祈ること」でした。農業が国家経営の根本だからです。今でも天皇は田植えをされ、稲刈りをされます。この歌の田植えは、ご神田の毎年恒例の神聖な儀式でした。ですから早乙女たちは心身を清め、そろいの衣を着て奉仕したのです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

大変に説得力のある回答だと思うのは、私だけではないでしょう。白妙の衣の推理にも感心させられます。歌の全体の雰囲気にもぴったり調和して、矛盾を感じません。文法的にも解説して頂きました。わかり易く、有難うございました。他の方々も有難うございました。

お礼日時:10/9 22:21

その他の回答(5件)

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中学校の古典の授業なら、それでいいでしょう。 万葉集らしい、眼前の実景を詠った、五七調の素朴で勇壮な調べ。 歴史(特に日本の古代史)の好きな人なら、「しろたへの」衣が「真っ白な衣」ではないことは当然知っています。「しろたへ」は「白栲」であり、古代の日本では「白栲」の衣は喪服であったのです。 ここから先は文学の域を離れますので触れません。

天武天皇(夫)の喪ではないですよ。 「香久山」が喪に付しているのですから… 『万葉集』にも、柿本人麻呂の長い長い挽歌があります。

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持統天皇の御製ってことだけじゃないですかね? 歌として、イマイチ、ピンときませんので 情景描写だけでなく、 もっと、作者の心情を吐露するような歌のほうが好きですね

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「白妙」を「喪服」などと書いている方がおりますが だとしたら、持統天皇は夫天武天皇(=大海人皇子)の葬儀・喪中に着用した喪服を なぜ、干したのでしょう?(^^) そんなことは100%ありません なぜなら、喪服は・・・・何度も使いませんので(^^) 喪が明けたら・・・・破棄します つまり、「干す」ことはありません

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神話の妻を取り合う様な状況も無く、自然の情景を完璧に詩っているからです! 「白妙の衣ほしたり」は、「白鷺の群れで、巣立ちした幼鳥、親鳥たちで一面真っ白!」。