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2021/10/14 10:18

66回答

豊臣秀頼が誕生した後、秀次が秀吉に粛清されずに済む方法はありましたか?

歴史 | ミリタリー96閲覧

回答(6件)

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A案:チンチ○を切り落として「子供は持ちません」とアカシをたてる。 B案:出家して高野山で僧として余生を送る。 天皇家にもこれに近いようなことがありました。 嵯峨天皇の弟の大伴親王が「皇位争いは怖いから皇位に就きたくない」と遠慮するのを押しきって、嵯峨天皇は大伴に皇位を譲りました(淳和天皇)。しかし、京都の人の口先と腹の中は違います。「ちっ、空気の読めないヤツ」ということになり、嵯峨上皇の命令で大伴の息子たちは全部流刑に処せられました。 また、陽成天皇が廃位されたあと、天皇候補がおらず、傍流の皇族であった時康親王に即位の依頼がありました。淳和天皇の悲劇の例もあるので時康親王は相当頑固に固辞したのですが、断りきれずに即位しました(光孝天皇)。この天皇は息子たちが粛清されるのを恐れて、「自分はワンポイントリリーフだと認識している」という意思表示で息子全員臣籍降下させました。

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普通に問題を起こさず秀吉に逆らわず関白の仕事を続けていれば普通に秀頼へと権力譲渡が行われていたはずです。 天皇の定期検診に無理やり割り込んだり、秀吉に改易されそうな武将を庇って逆らったり、人切り部屋を用意して夜な夜な一般人を殺したりという関白としてあるまじき行為をしなければ普通に存続出来たはずです。 秀次事件に秀頼誕生は特に関係ありません(秀吉は秀頼の嫁候補に早くも生まれたばかりの秀次の家系の女児をあてがう予定でしたし)

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豊臣秀吉は暴君で、気分次第で何をするかわからないので、能動的になにかできることはないです。秀次の権力の根源は秀吉なので、秀吉を討つことは無理でしょう。

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自ら関白の位を返上して秀頼の家臣になる事を進言したら暫くは安泰だったのでは?