鎌倉時代以降、朝廷の収入は、直領から得ていたのか?幕府から小遣いみたいに支給されていたのか? どちらだったのでしょうか?

日本史54閲覧

ベストアンサー

0

成功(じょうごう)という売官制度があり、下級官はこれにより、これも朝廷の収益となりました。 一国平均役といい、公領・荘園に関係なく一律にかかる臨時税がありました。これば仏寺建造等の時、特定の国に賦課しました。

その他の回答(4件)

0

生活費は、小遣い(定額支給)制で 国家の安寧を祈る「宮中行事」の予算は、 その都度、出してもらっていたようです(^^)/ ただ、江戸時代は質素倹約という事もあり、 縮小して執り行われたでしょうね(^^)

1

直領からの年貢です。 平安時代後期になると、集めた税は全部国司が使っていいと言うとんでもない法律ができて、京都の朝廷は税収がなくなりました。 その代わり天皇家が大荘園領主になってその地代で天皇家は大富豪になりました。 この財力で実現したのが院政。 やがて、室町、戦国と時代を経るにつれてこの荘園は武士たちに侵食されてなくなります。そうなると収入源はバイト代や官位の売却代金でした。 江戸時代になると家康が気の毒がって天皇家に一万石ぐらいの領地を持たせてくれました。江戸時代はこれが収入源でした。

1人がナイス!しています

0

それぞれの荘園の収入は、その一部を地頭が取り、残りを荘園主が取った。国衙領からの収入も同様。武家がすべてを奪ったわけではない。 しかし実際には、鎌倉時代後半には、現地の武装勢力である地頭層の力が大きくなり、荘園からの年貢を地頭が受けて、領主には地頭から一定額を渡す地頭請けや荘園の土地の半ばを地頭の所有とする下地中分が横行した。 いずれにせよ、この時期には荘園領主や貴族、朝廷の受け取るべき年貢などは、 ある程度は領主の手元に入っていたのだ。

0

武士に官位を売り付ける事で手数料取ってました。 ○○守とか言うヤツですね。