聖徳太子に関する話ってどのくらいが真実でどのくらいか作り話なんでしょうか?

日本史 | 歴史45閲覧

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難しいところですね。 最大限評価する説としては、まさしく「聖」の「徳」を持った聡明な皇子。 最低限の評価としては、虚構だったという説まであり、知名度の割に評価が定まり切っていない人物です。 と、いうのも。 これは大前提なんですが、 『日本書紀』は、天武天皇に連なる聖武天皇と藤原氏の支配の 正当化と正統化をプロパガンダするために作られた書物で、 創作や意図的な錯誤があるのは研究上の常識です。 で、厩戸皇子(聖徳太子)の時代と言うのは、蘇我氏の全盛期です。 でも、その後の大化のクーデターで藤原氏は蘇我氏を滅ぼします。 「悪者・蘇我氏」を「正義の味方・藤原氏」が成敗したことにしたいわけです。 なので、蘇我馬子の事を良く書くわけにはいきません。 そこで文書の上で蘇我馬子を抑える役を与えられたのが厩戸皇子です。 さて、厩戸皇子の業績として確実と言えるのは、 四天王寺、法隆寺の建設、それから政権の中枢(ドップと言う意味ではありません)にはいたんだろう、と言う事ぐらいでしょうか。 憲法17条は後世の創作説も根強いですし、 冠位十二階についても、「厩戸が一人で作った」とはいいがたいものがあります。蘇我馬子は官位を授かっていません。授ける側にいたという事になります。 遣隋使にしても一人で決めたとか発案したとかでもないでしょう。 そもそも、この頃の政権は群臣による合議制体で天皇(大王)は、座長と言ったところですから。 もちろん、厩で生まれたとか、一度に何人もの話を聞いたとか、死んだときには国中が嘆き悲しんだとか、そのあたりは完全に「盛った」話です。 『日本書紀』の記述を信用しないで、 それ以外の資史料から推し量るとすると、 「証拠」がありそうなのは、冒頭上げた事業くらいかと思います。 後は、『日本書紀』をどこまで信用するか、しないか。 それでずいぶんと変わってくると思います。