江戸時代の農民の生活について教えて下さい。 士農工商で農民の生活は苦しかったと習いましたが 本当でしょうか? 天災や天候不順で凶作の時は苦しかったのは分かりますが

日本史 | 歴史96閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

ベストアンサー

1

1人がナイス!しています

ありがとうございます。 農民の生活は「生かさず殺さず」年貢を搾り取られる奴隷のように教わりましたがどうも違うようですね。 文化の担い手でもあった訳ですね。 中学歴史ではカースト制度ようなイメージになりますが全然違いますね。最近は士農工商との記述もなくなってきているようですが。 本当のところが一般的になるといいですね。 あと農村の科学的文化的蓄積が明治の近代化を支えた。 恥ずかしながら全く知りませんでした。 そのような視点から江戸の農民を勉強したら歴史もさぞ楽しいでしょうね。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:10/22 8:27

その他の回答(4件)

1

藩政が放漫なところでは、悪政による生活苦があったのは本当です。 それは時代劇のような圧政ではなくて、治水が不十分な場合や、惰性による農村経営の失敗による荒廃などです。 天候以外に苦労がないのなら、二宮尊徳が農政を改善して生産を上げ、幕臣に取り立てられるようなことは起こらないですから。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3

1人がナイス!しています

1

よく気がつきましたね、江戸時代は平和な時代です。全体でいうと百姓は幸せに暮らせた。もし、領民が逃げ出す様な藩政をしたら、お取り潰しになってしまうから、藩は公儀を恐れていた。そうでなければ、250年も続くわけが無い。 農民が、天候不順による不作、飢餓の問題を抱えていたのは、主に東北地方です。大体、西日本の米作が段々と東日本、東北地方の果てまで浸透した計算をすれば分かる。日照時間が短い地域では安定収穫しにくい。しかし、毎年豊作の基準で年貢計算がされていたから、数年に一回の天候不順が来ると危機に陥った。 あの、映画”大魔神”の様に悪徳領主が、百姓を苦しめるイメージ、封建制で民衆は苦しめられていたとの説明は、明治政府の”御一新”肯定説明の中でつけられたものの筈です。明治政府は、貧乏国だから勤勉に一生懸命働いて、国を興そうと教育をした。あとは、余剰人口を整理するために、北海道開拓、国外移民政策もとった。 封建制度とは、住民を動けなくして、情報を絞り、統治者が長期に渡って権力維持をできる為に編み出された統治方法です。明治の近代国家からは、それが良く無い制度だったと言えることはできたでしょうけど、制度が百姓を苦しめたことは、なかったと言えますね。

1人がナイス!しています

1

その村の領主による。としか言えませんが 江戸時代後半ともなると、農業技術が発達して、農民は普通に白米を食べていましたよ。年貢の対象が主に米なので、お金になる商品作物もせっせと作っていました。 大抵の領主は、農民一揆など起こされたら、あっという間に江戸から睨まれて改易・切腹・お家お取り潰しのリスクを抱えていたので、領地経営には相当気を遣ったそうです。 「江戸時代の農民は生かさず殺さず」で搾取されていた。というのは、おおかた戦後のマルクス史観を持った歴史学者の先生たちによるイメージでしょう。

1人がナイス!しています