熊本県は熊が多かったから熊の字が入っているのですか?

補足

熊本県に熊がいないってことは、熊本と言う名前が付いた時。 地元の熊本県の人は。 熊?熊って?なに?人を襲うヤバい動物の名前らしいよ。 とか、民衆は???だったんですか?

日本史 | 一般教養689閲覧

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もとは隈本。川が湾曲してる土地。 動物の名前にすれば、将来ゆるキャラが作りやすいでしょ?もちろん、そこまで読んでるに決まってるじゃない。 あなた九州人を田舎者だと思ってナメてるでしょ?

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熊本県の国府はもともとは出水(現在の熊本市出水、江津湖の辺り)にあったのですが、阿蘇氏が栄えるなど周辺に勢力が移ったため、中心部が衰退します。 菊池市の市街北東部の城山台地上に肥後守護の菊池氏の本城があり、城下町が形成されますが、この城・地名とももとは隈部(くまべ)といいました。 由来は、家祖・菊池則隆が 太宰府から菊池郡に下向して鞍岳から菊池郡を見下ろしたところ、窪地が暗く隈(クマ)になって色が薄くなるところにあり、そこを隈の府と称したと云われています。 つまりもともとは「影」から来ていたわけです。 南北朝時代には肥後は菊池氏が興隆したため、その本拠が守護在住の地として隈府(くまふ)と称されるようになり、同じ頃に茶臼山の一隅に隈本城(くまもとじょう)が構築されて菊池氏の一族(出田氏)が入り、この麓の街が隈本(くまもと)となりました。 さらに近世に入って菊池氏が滅び、肥後半国を治めることになった加藤清正によって京町台地に隈本新城(熊本城)ならびに城下町が築造、建設されて、肥後の中心が隈本(熊本)に移り、同地が隈府(府は庁舎のおかれた中心地の意味)ともよばれるようになったため、菊池市の方の隈府は区別のため「わいふ」と称されるようになりました。 熊本への改名につては、慶長6年頃、加藤清正が「隈」は、阝(コザトヘン)は「阜」に由来して「大きい」「盛ん」の意味だが、一方で畏は「おそれる」「おびえる」を意味し、併せると「隈」の文字は「大いに怯れる」の意味になるのではないかと言い出して忌み嫌って、猛獣の熊の字に改めた、という話が『肥後国誌』にかかれています。

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その当時は熊本県に熊はいたんですか? 熊の漢字を使われて、地元民は、見たこともない動物の名前を付けられて、「熊ってなんだそりゃ?」ってならなかったのですか?

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熊本県にも熊谷市にも、熊はいませんよ(^^)/ 「隈本」の隈を、加藤清正が 「隈の字は【恐れ、かしこまる】という意味ゆえ、武士にふさわしくない」 ・・・という理由で「熊」に変えただけですね(^^)

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熊本は、改名前が「隈本」だった。 加藤清正が隈本に入ったとき、勇ましいものに変えようということで、熊本になった

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