もしも、蒲生氏郷があと5年生きていたら、五大老の1人になっていたと思いますか? 五大老 徳川家康 毛利輝元 上杉景勝 前田利家 宇喜多秀家

日本史 | 歴史152閲覧

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勉強になりました。

お礼日時:2021/12/6 0:02

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五大老は秀次事件後の御掟・御掟追加に連署した六人、清華家という家格に成った「清華成」大名がベースです。村川浩平氏は「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例 」で、氏郷が武家清華である可能性を指摘しています。清華であれば、氏郷は御掟などにも連署することになり、やがて秀吉臨終時にも後事を託されたことでしょう。 彼らは秀次事件の動揺(あるいは秀吉死後の豊臣権威の低下)を抑えるために、「大大名も政権にちゃんと従っていますよ」という証となる存在なので、当時徳川・毛利に次ぐ石高で、会津で奥羽を統括するという重責を担った氏郷は、生きていたら大老に入ったと考えてよいと思います。

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そもそも、五大老などという役職があったわけでは無く、 たまたま、秀吉の遺言状に記載された「五人の衆」と指名された人が、 後の五大老です。 では、その選抜基準は何かというと、豊臣政権には、 武家官位制と呼ばれる、大名家の家格制度がありました。 摂関家の豊臣家を頂点として、次いで、 徳川、毛利、前田、上杉、小早川、宇喜多、織田の七家が、 大臣にまでなれる清華成大名です。 後に五大老と呼ばれたのは、この七家の内、 若年の小早川、織田を外した五名の事です。 蒲生家の家格は、島津や細川などと同じで、 その下のランクですから、いわゆる五大老には入れません。 だだ、蒲生氏郷が長生きして、朝鮮出兵等で戦功をあげれば、 ランクアップして、清華成ができたかもしれません。

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