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音を使わない音楽、について 数学の原義は、数の学問、だと思うのですが、数を使わなくとも可能だろう、と思っています。たとえば 問

クラシック | 吹奏楽386閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">50

回答(14件)

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相変わらずお元気そうで何よりです(^o^) 大変すね。 てか不等号て「大小関係」を示す記号では? で、A、B、Cなんて数字を抽象化しただけ。 中1くらいで習う。 数学は中1で躓きましたか? だから吹奏楽てのは…笑 質問者の言う意味で数学を音楽に喩える事は不可。 「音を使わない音楽、は存在」 しない。 音がないのだから、耳すなわち聴覚を用いない音楽すよね? 基本的に無理。 ケージのは譜面に音がないだけで聴覚は使う。 ま、振動をどうするかだけど。 あ、振動だけで作れば? 携帯のバイブみたいに。 ブ〜ブ〜ブッブッブ〜って。 もはやモールス信号(笑)。 で、 「音を使わない」を「音がない」つまり「無音」だとすると、日本の音楽には「無音」を利用するものならある。 西欧のフラワーアレンジメントが花で空間を埋めるのに比し、日本の生花は空間を花で切る。 つまり生けた「花」が主体ではなく、切られた空間の「間」が主体。 同じように西洋音楽は時間を埋めようとするが、日本の音楽には「間」を利用するものが存在する。 以前、邦楽器を使ったある新曲のリハーサルで、こっちはなるだけ音程やリズムを合わせようとしてたら、急に邦楽器奏者の1人が、 「そんなに合わせたら味がなくなる」 と言う。 こっちは合わせるのが仕事だから、これにはビックリした。 そゆ考え方、感性もあるんだ、と。 つまり「ズレ」即ち間合い、隙間を良しとする価値観。 詳しくは、 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14249234569 蓋し、西洋音楽の時間認識は稠密である。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12251621752 和と洋は水と油。 この演出の美意識を疑う。 https://youtu.be/UvEigoBD2Jo 間を取る静の文化と必死に埋め尽くす文化。 無理な組合せ。 もはや、多様でなく異様。 以上、いかがですか?

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数字を使わない数学も前提としては数を扱っていますし、ジョン・ケージの4分~も雑音や環境音など受動的に音を使っています、 それに、近代以降の芸術の場合は他人と同じことをやるわけにはいかないので、無音の音楽をやるにしても今までにない方法でなければ有効でないです。 日本の前提や歴史的文脈などを教えずに、「自由にやっていいんだよ」という教えはまず教える側の知識のなさ、逃げ、であって日本人の劣等生という問題と繋がっていると感じます。 話を戻して、 音のない音楽、、、 ジェイムス・ブレイクのライブでは、人間には聞こえないほどの低音を爆音で鳴らしており、何も聞こえないが、着ている服が振動するほど揺れている、と書いているのを見たことあります。 まぁこれは人間に聞こえないだけで音は使ってますね、 質問者さんの書いている音の代わりにイルミネーションを使う、というふうに音のアナロジーで良いならいくらでもできそうです。 面白いものになるかどうかは別として。 砂やビーズなど小さい粒子みたいなのをスピーカーの上に台座にのせて、音の振動で粒子が波紋の図形を作ります。 これは、音を使った絵画、ともいえますが、逆に言えば、視覚的な音楽とも言えるでしょう。 もし宇宙人がいて人間とは違う、五感とは別の感覚を持っていたらとんな芸術作品をがあるのでしょうね、 それを人間は感知できないでしょうが。

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音”も”あることが前提だが、長めの休符の部分は音のない音楽と言えないだろうか。音がある部分を修飾する無音ともいえるかも知れない。楽章の間(アタッカ除く)はどうだろうか。実演ではザワついてしまうが、CD等では無音の場合が多い。 コンサートならば、始まるまでの期待、終わってからの余韻はどうだろうか。周囲の雑音はあるだろうが、それは本質的ではない。CD等でもそういうのが全くない訳ではない。もっと拡大すれば、普段の生活がそうである。4分33秒はそれを極端に明示したということではなかろうか。 なお、他の方も仰っているとおり、数値に代わる変数や係数を使う代数では数・量の概念が前提であり、形式的に数が見えないだけで、数が無いとはいえないと思う。逆にブール代数では一応(0,1)があるが、これは2つの状態を数値の記号で表したに過ぎず、別にABでもいいし、甲乙でもご隠居と熊さんでもいい。ユークリッド幾何なら合同の証明とか、必ずしも数値に言及しなくてもいい。集合論から端を発したものもそうである。論理学と数学の境界は曖昧だが。抽象数学の域に入るともっと色々あるらしい、知らんけど。

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音楽とは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%A5%BD 音による芸術である。「音による時間の表現」といったものまで様々な定義がある。 4分33秒という無音の曲があるが ジョン・ケージは「音楽は音である。コンサートホールの中と外とを問わず、われわれを取り巻く音である。」と語った。 なにもせずに座っているピアニストをとりまく環境音が音楽ということ。 音・音楽を数学で説明しようとしていた時代がある。古代においては科学は未分化であったからだ。紀元前6世紀のギリシャの哲学者ピタゴラスは、天体の運行が人間の耳には聞こえない音を発しており、宇宙全体が一つの大きなハーモニーを奏でていると考えた。「天球の音楽」などと呼ばれる思想である。

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あなたは「数学様」を「音楽」より上位に考えています。 ところで優れた数学者で優れた音楽を作った人がいますか??? 最新最高の数学理論で名曲や大衆音楽の大ヒット曲を生み出した事例はありますか??? 数学は音楽に関し、全く非力です。質問者さんはまずこの厳然たる事実を素直に受け入れましょう。 バッハの音楽的感性に多少数学的センスは感じますけどね。 私は高校時代に志鳥栄八郎の名盤紹介本を基にレコード収集したので数学者だった指揮者エルネスト・アンセルメのレコードはたくさん持っています。ストラヴィンスキーとかチャイコフスキーとか「シェヘラザード」とか「ダッタン人の踊り」みたいな楽曲はアンセルメで聴きましたね。 彼の演奏はちょっと冷んやりしてるんですが、歌心が素晴らしい! しかしこの事は些末な事柄であり数学と音楽の関係に何の示唆も与えない。 なんか知恵袋のクラシックカテゴリーではジョン・ケージの「4分33秒」が病的に好きですよねww 回答に超頻出です。 この「曲」を知ってるオレ偉いみたいな感じでマウントとってくる回答者が笑っちゃうほど多いですよねww 大笑いwww いやたとえば2歳の子供に「4分33秒」を聴かせて2歳の子供はなにか芸術的反応をするんですか? 3歳の子供はどうなんですか?w 「4分33秒」に何らかの価値があるとしてもそれは受け取る側に音楽的蓄積がなければ意味がないと思います。2歳の子供が芸術性を1ミリでも見いだせますか? 方法論としては完全否定はしませんが、しょせん音楽をよく理解していない人の戯言。 そんな感じです。 あなたの質問には音楽が持っているエモーショナルがありません。 音楽は理性ではなく心で楽しみましょう。

そう言われてみると、たしかに数学のほうが上かもしれませんね。 数学上の新発見なら単に拍手喝采だが、 音楽上の新発見は、仲間内からも非難ごうごう、理解不足はそっちだ、戯れ言、と言われる始末。