ID非公開さん
2021/12/27 10:48
6回答
ヴィルヘルム2世さえこの世に存在しなかったら、第一次世界大戦も起きず、賠償金も発生せず、ヒトラーも出てこず、第二次世界大戦も起きないまま、たくさんの人が命を落とすことのない、平和的な歴史になっていたと
ヴィルヘルム2世さえこの世に存在しなかったら、第一次世界大戦も起きず、賠償金も発生せず、ヒトラーも出てこず、第二次世界大戦も起きないまま、たくさんの人が命を落とすことのない、平和的な歴史になっていたと 思いますか?
世界史 | 恋愛相談、人間関係の悩み・130閲覧
ベストアンサー
単なるサラエボ事件が、英仏ロ対独、墺、土の世界大戦にまで発展したのには、ウイルヘルム2世とともに、シェリーフェンの存在の方が大きかったかも。彼が二正面作戦として、シェリーフェン計画を策定し、以降ドイツ軍はその計画に沿って動員計画を作り戦争計画を立ててゆきます。第一次世界大戦の動員も戦争計画も、気品的にはシェリーフェン計画に基づいていました。 ロシアと戦う場合は、まずその同盟国であり、動員も早いフランスに全力で対応して6週間以内にフランス軍の主力を壊滅する。しかる後動員の遅いロシア軍に、全力で対応するというのがシェリーフェン計画。 6週間でフランスを破るために、ドイツ軍は中立の有無にかかわらず、オランダやベルギーに侵攻してそこを通路とし、海岸線を右翼に、独仏国境を左翼に配置し、右翼を可能な限り強力にして、左翼を軸として大きな旋回運動を行って、フランス軍を独仏国境方面に圧迫して壊滅するというのがシェリーフェン計画の中身。そのため実際の第一次世界大戦でも、ドイツ軍はベルギーの中立を無視してベルギー国内を突破し北フランスに侵攻しました。ベルギーの中立を犯したことで、イギリスが対ドイツ参戦に踏み切ります。 実際には、最も進撃距離が長くなるドイツ軍右翼に十分な補給を行う方策が実行不可能であり、最も強力な右翼の運動翼は縮んでゆき、パリの東方を通過する形となり、マルヌ川の線に達したところで、戦闘能力を含む衝撃力を失ってしまい、後退に転じるしかなくなってしまったのですが。実にドイツらしい頭でっかちな理論倒れの戦争計画ではありました。 もちろんシェリーフェンが、こんな曲芸じみた計画を立てたのも、ウイルヘルム二世が、ロシアとの再保障条約を更新せず、仏露の同盟の成立を放置したためではあるのですが。それもその前のビスマルク外交が、これまた曲芸じみた権謀術数の芸術的発揮であったため、皇帝の嫌気がさしたためとも言えますけどね。 フランスもアルサス、ロレーヌを奪った軍事強国であるドイツ国と平和共存するつもりは毛頭なかったようですし・・・。 その意味では、ウイルヘルム二世がいなくても、似た様な状況に陥っていた可能性は高いのではないかと思いますけどね。
質問者からのお礼コメント
結局未来は変えられないってことですね〜泣 第三次世界大戦は絶対起きませんように!!!!!
お礼日時:1/23 23:00