日本語では時間を「とき」と言いますね。これは心臓の鼓動を表す擬声語でしょう。我々が瞑想するとき、心臓の鼓動を意識しますよね。これが時間の流れるという感覚だと思います。
アニメや映像フィルムなども、実は静止画が一秒間に24コマから30コマ、次々に提示されだけなのですが、我々の感覚上では滑らかに時間が経過しているように見える。
つまり、時間が流れているという感覚も、我々の認知という主観的な現象に過ぎないので、一種の心理現象乃至は脳の働きによる現象だとも言える。
ただし、そういう言い方は、時間だけでなく、空間や物質についてもいえる。睡眠中に夢の中で見ている世界は、目が覚めると現実の世界ではなかったと分かるが、夢を見ている最中はそうは思わない。だから、我々は命が尽きた後、ああ人生は長い夢だったと気づくかも知れない。
だから「存在する」というのは、「存在すると認知している」ことに過ぎないので、すべては存在しない、現実は夢だと認知するのもまた自由でしょう。時間は存在しないと認知することももちろん自由でしょう。