まず回答を見させていただいて、えっ?と思うところがあったので指摘させて頂くと
第一次世界大戦後、イタリアはずっと不況?
事実はずっと不況だったのは日本です
イタリアはアメリカの移民法改正により新たな移民を多く出すことはできず、国内では社会主義者や労働者による工場占拠などで社会不安は増大し中産階級は危機感を覚え、戦場で命がけで戦って生還した死亡率の高い突撃兵(アルディーティ)を尖兵としたファシストによる社会主義者への攻撃を支持しました
やがてファシストがローマ進軍により政権を奪取した後の経済政策は超緊縮財政とデフレ政策を行い年平均4%の成長率を維持しました
世界恐慌に直面し財務大臣になったユダヤ人ファシストのグイドは
まずIRI(イタリア産業復興公社)を設立、国家が破綻しそうな大銀行を救済、アルファロメオなど疲弊した企業をIRIの傘下に編入、半国有化して統制下に置き凌ぎました
このIRIは第二次世界大戦後、暫く機能してイタリア経済を救います
グイドは引き続きデフレ政策と超緊縮財政を行います
日本と正反対に削減の対象は軍事費でした
それらで余裕のできた予算で公共事業やアウタルキー(自給自足)政策に資金を出したのです
エチオピアへの侵略は日本の満州侵略による日本国内の貧しい小作農の満州への移民をモデルにしたのです
日本は明治維新以降、大恐慌まで貿易収支で黒字になったのは西欧の中心工業国が機能不全に陥った第一次世界大戦期のみでした
というか第一次世界大戦直前、日本の財政状況は多大なイギリスなどにたいする債務返済でデフォルト寸前まで追い込まれていたのです
第一次世界大戦で西欧中心工業国の重工業製品がアジアまで輸出することができず
日本の低品質な重工業製品でも市場で売れるようになりデフォルトは回避されました
(もし第一次世界大戦がなかったら日本は財政破綻していたのは確実)
戦後、西欧の中心工業国が復活すると低品質の日本の重工業製品は世界市場から駆逐され
はやくも1920年に戦後不況に陥り、23年に関東大震災、27年に金融恐慌、29年に大恐慌とずっと長期低落傾向
そして世界恐慌が既に始まっているにも関わらず30年に各国が取りやめている金本位制に復帰、すぐに取りやめるという失策を行っています
日本の貧困率やジニ係数は今では考えられないほど悪く
一人あたりの購買力平価GDPはアルゼンチンの2分の1程度でとても先進国とはいえなかった
日本国内の自動車市場はアメリカのフォードとGMに席巻されていました
日本は第一次世界大戦前のような外債に頼らず、アメリカやドイツの企業との合弁会社を設立したり技術供与により好転を期待しましたが
日本の主要輸出品は繊維製品と日本茶と第一次世界大戦前と変わらず、依然軍事以外の重工業国にはなれず
途中、日本茶の緑色を鮮明にするために有毒物質を組織的に混入させていたことがアメリカの科学者により暴露され日本茶の売上は急落しました
日本は排他的独占市場を大陸に確保するため、各国が不戦条約を締結し新兵器開発を凍結、ないしは鈍化させる中、兵器開発を行い軍事費が予算の5割から7割を占めました
やがて軍部は30年半ばに国産車を優先的に採用する政策を行わせました
皮肉なことに長距離で不整地で車輌を走らせたノモンハン事件では国産トラックが故障し次々脱落、倉庫にしまっていたフォードのトラックを引きずり出すこととなりました
ドイツはドーズ案受け入れにより莫大な賠償金支払いに目処が付き、20年代半ばにはアメリカに次ぐ第2位の重工業国に復活
ヴァイマール共和国期には企業の労使共同経営は一般化し
ビスマルク以降の伝統である社会保険制度は労働者以外の農民にも拡大されました
世界恐慌後のナチス政権は
まず農民が困窮から農地を放棄しないように世襲農場法を成立させ、全国食糧身分団法により生産計画や価格を統制しました
アウトバーン、住宅建設をはじめとする公共事業
石炭を液化した合成石油製造をはじめとするアウタルキー政策
中途半端に終わったが、国民自動車(フォルクスワーゲン)、国民ラジオ、国民冷蔵庫など安価な国民製品の開発
対外的には外貨に依らず相手国の一次産品とドイツの工業製品を物々交換的に行うバーター取引的貿易協定を
ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビア、ギリシャのバルカン諸国とトルコ、アルゼンチンなどと締結しました