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2022/1/16 16:38

44回答

明治9年に夫婦別姓が指令された時、

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まあ元々昔は庶民に苗字が無いのが通説だったとすれば、夫婦別姓だろうが夫婦同姓だろうが、民衆から文句なんぞ出るはず無いから やはり反対派は歴史認識がとんでもらしい。 上の回答も全然間違った事を書いてしまっている。

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https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html 法務省のページですが、 _____________ 明治9年3月17日太政官指令 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。 ※ 明治政府は,妻の氏に関して,実家の氏を名乗らせることとし,「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお,上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。 _____________ との記載があります。 明治前の宗門人別改帳(旧戸籍簿のようなもの)などを見ても ○○宗▲▲寺(お寺の名前 旦那:太郎 女房:花子(その村の利平の妹 子 某 みたいな書き方だったようなんで、 一般的に姓がなくても、 〇〇村の太郎、その妻花子 みたいな呼び名だったと思われます。 明治9年に別氏制にはなったけども、 もともと習慣的に家族単位での管理だったり、 夫婦同姓のような扱いが自然となされていた。 だからこそ 「妻が夫の氏を称することが慣習化していった」 そういう慣習だったからそのように制度を導入した。 と考えるのが自然かと思います。 もともとそういう慣習だったとすればそれほど混乱は なかったと思いますよ。 そういう記録や情報もないですし。

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民衆が女性も家族だと運動を起こして政府に夫婦同姓を認めさせました。

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記録ないはず。 混乱なかったと思う。 本来は民法施行までは、妻は名字(家名、戸名)名乗らず、名乗る場合に限り本姓(実家名字)を名乗る習慣だったから。 〇〇△△の妻、〇〇家の嫁が通常使われていた。 まして95%の庶民は江戸時代には名字(=家名)自体持っていない。新たに戸籍の戸名(=家名)増えて鬱陶しいだけだった筈。 明治5年の戸籍令では名字を持って良いとしたが、少ないかったので明治8年の令で必称とした経緯ある。 更に95%の内でも豪商・豪農ぐらいしか家=戸の概念ない。 ーーーーーーーー 家単位で家来になるのが武家、公家の家の概念。財産・職を継承・相続して行く。家督と言われる。 豪商・豪農は褒美で名前持てたが、家単位で家来になっていた訳ではない。家来とされた場合は士格与えれれて家禄が出された。苗字帯刀許されても家禄貰えず、賄賂増えるだけ。根本的に違う。