韓国の百科事典によりますと
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古代国家の夫余の染色の技術が高かったという記録がある。
三韓時代には青色・赤色・紫色などの糸で飾られた絹織物が作られた。
高句麗では官営手工業の形で染色をした。
ベニバナ・ムラサキ・スオウなどの染料が使われた。
服には紫色・黄色・赤色・薄緑色・鋼青色・茶色などの色が多く使われた。
百済は衣服の色で位階を区別した
新羅は染色部署の染宮・紅典・蘇芳典・攢染典と織物担当官営工場の錦典を置いて専門的に染織物を生産した。
この染色技術は日本に伝来され、463年には百済の定安那(チョン・アンナ)が日本の河内国・桃原で河内錦を織って錦部連の始祖になった。
493年には高句麗の奴流枳(ノ・リュジ)と須流枳(ス・リュジ)などの人が日本山辺郡に渡ってアカネ・ムラサキ・スオウなどを使った革の染色技術を伝えた
高麗は私営工場と官営工場で染織物を生産することで貴族の需要と交易品に引当てた。
高麗はムラサキを使った染色技術が優れていた。
朝鮮の染色は農村家内工業とともに京工匠で貴族の需要と交易品に引当てた。
工匠は官奴身分から良人身分に代替されて給料をもらった。
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