第二次大戦時の日本の航空機開発は日本陸軍は当初から防弾も装備しており、航続力も過大な性能では無く、後継機には正常進化を求めたのに対して、
第二次大戦時の日本の航空機開発は日本陸軍は当初から防弾も装備しており、航続力も過大な性能では無く、後継機には正常進化を求めたのに対して、 日本海軍は元々が無防弾と行き過ぎた軽量化で過剰な航続力性能を出していたので、後継機に正常進化以上の性能を要求したために後継機の開発に失敗したのでしょうか?
ベストアンサー
海軍が要求性能と陸軍ではダントツに海軍が無謀でした、、 防弾鋼板どころか堀越博士とEDSの開発成功がなければ成り立たない要求です。1940年の時点では世界最強は零戦21型に間違いありません。その時の隼1型は強度不足で急降下は制限され空中分解する始末です。零戦の成功で隼は改良され日本1の四式戦疾風が誕生します。 12試艦戦(零戦)に要求された空戦性能は2000馬力級の米軍機に、650馬力で軽量化して圧倒的に勝ることと膨大な航続距離です。零戦の空戦性能は最後までF8Fでも追い越せていません。 後継機の烈風が開発に遅れたのは、雷電の優先と海軍自体が烈風に誉を積むこと要求したことと、政治的に川西の強風を陸上機化させる経緯からです。実際疾風に比べて紫電改は少し見劣りがします。エンジンもピーキーな誉では烈風の性能が生かしきれませんでした。烈風は終戦時にハ43改(金星)を搭載して1機だけ量産されていますがすべて要求された性能を満たしていました。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:1/20 8:12