平氏の繁栄から滅亡までのストーリーをまとめて教えてください
平氏の繁栄から滅亡までのストーリーをまとめて教えてください
ベストアンサー
桓武天皇の血筋を持つ武士団「桓武平氏」が10世紀頃に東国に勢力を広げます。 そのうち、西国にも勢力を広げた伊勢平氏が徐々に朝廷権力に参加していきます。 平忠盛は瀬戸内海の海賊を討伐したことで殿上人となり、貴族になります また、鳥羽上皇死後に、皇位継承を目論む崇徳上皇と、後白河天皇が争った保元の乱では、平清盛が後白河天皇側となり勝利します。 そうして平清盛が名声を上げていく事を危険視した藤原氏勢力が、源頼朝と協力して平治の乱を起こしますが、平清盛によって平定され、結果、藤原氏勢力は衰退し、源頼朝は伊豆に島流しとなります。 藤原氏や源氏を退けた平清盛は、1167年に太政大臣に命ぜられ、子の重盛も高官となります。 また、娘の徳子を高倉天皇の后にすることで外戚として権勢をふるい、平氏はどんどん横暴になって行きます。 摂津に大輪田泊を設け、南宋との交易を開始し、もたらされた宋銭は日本国内の経済を大きく転換させ、その大半は平氏の財政基盤にもなりました。 こうして強大になっていく平氏と対立した藤原氏やその他反平氏勢力は、京都の鹿ヶ谷にて後白河法皇と共に平氏打倒の計画を練りますが、これもまた平清盛に暴かれ大半が処罰されます。 清盛は後白河法皇を幽閉し、孫の安徳天皇を即位させますが、これに多くの武士団や貴族、寺院が反対します。 後白河法皇の子である以仁王が平氏討伐の命令を全国に下すと、源頼政や園城寺、興福寺の僧兵も挙兵。 1180年、ここに、源平合戦こと治承・寿永の乱が始まります。 源頼朝は伊豆から脱出、信濃の源義仲も挙兵し平氏討伐のために京都を目指します。 対する平氏側は機内を中心に兵力を固めて対抗しますが、清盛の死去や飢饉の流行により弱体化。 また、富山県の倶利伽羅峠にて源義仲に敗北すると、平氏は安徳天皇と三種の神器を持って都落ちします。 一方、義仲は京都へ入るや否や強奪を始めたため、源頼朝の命令により源義経に討たれてしまいます。 その後は義経を中心に源氏軍が平氏をさらに西へ追いやり、兵庫の一ノ谷の戦いや香川の屋島の合戦で勝利。 ついに平氏は、山口県の壇ノ浦にて、安徳天皇と共に滅亡させられます。 以上が平氏興隆から滅亡までの物語です
質問者からのお礼コメント
わかりやすくありがとうございます! 参考にさせていただきます✨
お礼日時:1/19 22:54