ベストアンサー
一言でいうと、最初はほぼ「傍観・黙認」しました。後からは圧力を加えていますが。 要求の五項目である「中国政府の顧問に日本人登用、警察組織を日中共同or日本委任など、日本>>中国の立場になるような内容」が他列強に対し秘密事項にしていた段階においては、列強としては「自分たちも帝国主義政策やってるのに日本だけは責められねえな・・・」&「一応日本は連合側だし見返りやらんとな・・・」という思いもあって基本これを黙認、容認していました。ただ袁世凱が五項の内容を暴露すると、人口がバカ多くて有力市場であった中国の保護国化は避けたい米英がこれに猛反発し、袁世凱はこれだけは撤回させることができましたが、それ以外に関して列強は基本ノータッチでした。 しかもその後アメリカは日本が山東省権益を持つことは容認(石井・ランシング協定)。パリ講和会議において山東問題が挙げられても、英仏は大戦中の日本との密約で黙認していたために中国に同調せず、そのまんまになってしまいました。これに中国では民衆が怒り狂って五四運動を起こし、それに動かされた政府もヴェルサイユ条約の調印を拒否しています。 まあ結局、その後列強(特にアメリカ)の警戒が強まり、国際協調が進んだこともあって、ワシントン会議や九カ国条約で日本は妥協して権益を放棄(要求前の状態への回帰)。石井・ランシング協定も破棄されました。なお、イギリスも日本に対して警戒を強めていた、日米の争いに巻き込まれるのを恐れたのもあり、四カ国条約では日英同盟が破棄されています。
質問者からのお礼コメント
とても分かりやすかったです! ありがとうございました。
お礼日時:1/20 17:51