ID非公開さん
2022/1/20 20:19
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至急です!
至急です! 沖縄戦についてのまとめがあるのですが、 沖縄戦で起こった出来事や、日本がした事、SDGsに 繋げられるような内容があれば教えていただきたいです! 歴史 沖縄戦 社会
日本史・113閲覧
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SDGsのなかの「平和で包摂的な社会を推進」に繋げるためには、沖縄戦で如何に理不尽で悲惨なことが行われたかを述べ、「如何なる理由があろうと平和のための生命の犠牲」は あってはならないことであることを力説する必要があると思います。 >沖縄戦で起こった出来事や、日本がした事、SDGsに繋げられるような内容 でレポートするとすれば、「捨て石作戦」と「集団自決」に絞り込んでまとめると宜しいかと思います。 その際「捨て石作戦」の初期に起きた疎開船の沈没と末期の「船艦大和」の沈没については触れておいた方が良いと思います。 「集団自決」については当時の教育が背景にあったことを中心に記録すべきでしょう。 〈概要〉(参考) 「捨て石作戦」 1944年、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた「対馬丸」が、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没。800人近い子どもを含む多くの犠牲者が出ました。国は当時、この事実を明らかにせず、対馬丸の悲劇から75年がたつ今も、遺族は真実を追い求めています。 1945年4月1日、米軍は読谷などの中部西海岸線から上陸し、約3ヶ月もの地上戦を展開しました。それは、住民を巻き込んだ、想像を絶する凄惨な地獄絵図だったのです。 明治政府発足以後の富国強兵の国策により戦時体制に組み込まれた沖縄では、アジア太平洋戦争末期、読谷村内にも多くの村民が動員されて陸軍の北飛行場が建設されました。 沖縄戦は、「本土決戦に備えた時間稼ぎの捨石作戦」でした。その特徴は、「住民犠牲の多さ」と、軍による「住民虐殺」が挙げられます。沖縄戦は、日本本土を守り、国体(天皇を頂点とした国家統治の体制)を守るための時間を稼ぐことを目的とした戦いだったのです。 日本が誇る最大・最高の戦艦「大和(やまと)」が沖縄戦に向かう途中で米軍の攻撃に合い沈没しました。 1945年4月6日午後3時、戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」(やはぎ)、その他駆逐艦8隻が沖縄に向け、山口県の徳山湾を出撃します。 鹿児島県の南岸「坊ノ岬」(ぼうのみさき)沖を通り過ぎ、東シナ海をしばらく進んだ後、アメリカ軍偵察機に発見されました。 米軍総計約400機の航空機による攻撃を受け、約2時間の戦いで、大和は魚雷約10本、爆弾8発を受けました。 この戦いで大和、矢矧、駆逐艦4隻が沈没し、約3700人が戦死しました。アメリカ軍の損害は、わずかに航空機の損失11機、損傷47機、搭乗員14名が戦死又は行方不明、負傷者は4名でした。 「集団自決」 当時の日本軍には「戦陣訓」という教えがあり、「生きて虜囚の辱めを受けず」、つまり捕虜になるくらいなら死を選べ、という考えが大切にされていました。 米軍の激しい攻撃が続くなかで、家族や近所の人たちが壕の中や森でまとまって命を絶つ「集団自決」が、慶良間諸島や伊江島、沖縄本島各地で起きました。 日本軍は、住民も、役所も、兵士と同じように命をかけて国を守れという「軍官民共生共死」という指導方針をとって、住民が米軍に投降することも許しませんでした。「集団自決」には そうしたことが背景にありました。 「集団自決」で亡くなった人は1,000人以上との研究もあり、これは沖縄戦における住民死者94,000人の1%強にあたります。
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ID非公開さん
質問者2022/1/21 20:25