そのとき劉備は曹公に打ち負かされて、引き返して南の方から長江を渡ろうとしていました。
(しかしこのとき劉備は、孫権の家臣であった)魯粛と当陽で会い、かくして一緒に(戦いを)計画しました。
そのため、進んで夏口にとどまり、諸葛亮を派遣して孫権のもとへと向かわせました。
孫権はそこで周瑜と程普たちを派遣して、劉備と力を合わせて曹公を迎撃し、赤壁で遭遇しました。
このとき曹公の軍ではすでに病が流行っていました。
初めに一度交戦したのですが、曹公の軍は敗退し、引き返して川の北側に陣を置きました。
周瑜らの陣は川の南岸にありました。
周瑜の部隊長である黄蓋が言いました。
「いま敵(の軍勢)は多く我ら(の軍勢)は少なく、ともにこのままの状態でいるのは難しいです。
曹公の軍の船艦をみたところ、船首と船尾が連なっています。
焼き払って敗走させることができます。」と。
そこで蒙衝(というタイプの船艦)と闘艦(というタイプの船艦)数十隻を選んで、薪や草でいっぱいに満たし、膏油をその中に注ぎ、幕で包んで上に旗を立てました。
まず親書を曹公に送り、偽って降伏したいと申し出ました。
またあらかじめ足の速い船を準備して、それぞれ大きな船の船尾に繋いでおき、それで次の船を引いてともに進みました。
曹公の軍の兵士たちは皆首をのばして(この様子を)うかがい見て、指をさして言いました。
「黄蓋が降伏したぞ。」と。
黄蓋は船を解き放ち、同時に火をおこさせました。
そのとき風が強く吹いていて、岸の上の陣営をことごとく焼き払いました。
しばらくして、煙や炎は空いっぱいに広がり、人や馬は焼けたり溺れたりし、死者は大変な数になりました。
(曹公の)軍は敗退し、帰還して南郡を守りました。
劉備と周瑜らはまたともに(曹公軍を)追いました。
曹公は(武将の)曹仁らを留まらせて江陵城を守らせ、自分はただちに北に帰っていきました。
単語・文法解説
図計 計画する
逆 ある方向から来る者を反対の方向から出迎える
寇 外から攻めくんでくる者の意味。ここでは「敵」と訳す
可焼而走也 ここでは「焼き払って敗走させることができる」と訳しているが、「焼き払って敗走させるべきだ」と訳すこともできる
闘艦 当時の船艦のタイプの1つで、中型の船
走舸 小回りのきく足の速いタイプの船