ID非公開さん
2022/1/21 6:02
3回答
日蓮正宗では「日蓮大聖人は『私は立宗から27年目に『出世の本懐』である大御本尊を作った』と弘安2年10月1日に言った」としていますね。
日蓮正宗では「日蓮大聖人は『私は立宗から27年目に『出世の本懐』である大御本尊を作った』と弘安2年10月1日に言った」としていますね。 ところが一方で日蓮正宗は「大御本尊を顕したのは弘安2年10月12日でこれが『出世の本懐』」とも主張しています。 変だと思わないんですか?
宗教・161閲覧
ベストアンサー
確かに日蓮が弘安2年10月1日に書いた「聖人御難事」の「余は27年なり」を「出世の本懐を顕した年」のことを言っているとするならば、少なくともこの10月1日により後に「本懐本尊」を顕すはずはありません。 日蓮が10月1日に「すでに出世の本懐を遂げた」と〝過去形〟で言いながら その後の10月12日に本懐本尊を顕したと言うなんてことは有り得ないことです。 ところが大石寺の主張は「『本懐本尊』を表したのは弘安2年10月12日」ですので、「聖人御難事」の記述と つじつまが合いません。 このことは「弘安2年10月12日の楠板大御本尊が出世の本懐」という説は成り立たないことの重要な“状況証拠”の一つになり得ると思います。
2人がナイス!しています
ID非公開さん
質問者2022/1/21 12:06
「27年目」との日蓮正宗の主張は何を起点にして27年なんですか。
質問者からのお礼コメント
「余は27年なり」は「27年掛かった」という意味であり、日蓮正宗の言う「27掛かったがこれから11日後に顕す」という「お知らせ」と捉えるのはやはり変だと改めて思いました。 皆様ご参加ありがとうございました!
お礼日時:1/21 21:38